top of page

空手道 松栄塾
🥋 礼儀が身につく
🥋 いじめに負けない心を育てる
🥋 世界チャンピオンが直接指導
🥋 無料体験受付中
🏆 東日本ジュニア優勝
🏆 全日本グランプリ優勝
🏆 最優秀選手賞受賞
女子ボクシング
WBC東洋ライト級チャンピオン誕生
世界チャンピオンが直接指導
2005IKF世界空手道選手権大会優勝
江戸川区西葛西
少年空手・一般空手・女性護身術・
パーソナルトレーニング
🏆 IKF世界選手権優勝
🥋 空手道八段
👨🏫 道場創設25年以上
少年部・一般部・女性歓迎
礼儀を学び
心を鍛え
強く優しい子を育てます
礼儀・集中力・挑戦する心を育てます
体験・見学はいつでも歓迎です
お気軽にお問い合わせください
松栄塾が選ばれる5つの理由
🥋 礼儀と挨拶が身につく
学校や家庭でも通用する礼儀作法を学びます。
🏆 世界チャンピオンが直接指導
世界大会優勝経験を持つ師範が直接指導します。
💪 いじめに負けない心を育てる
強さだけでなく、困難に負けない精神力を養います。
👨👩👧👦 一人ひとりを大切に指導
初心者から選手まで個別に成長をサポートします。
😊 初心者・女性も安心
運動経験がなくても楽しく始められます。
🌿 高濃度酸素パワーミスト体験会開催中
疲労回復・美容・リフレッシュに
【詳細はこちら】
「脳梗塞・肝細胞癌を克服し、今もなお修行を続ける武道家」
人生で一番強かった日~世界王者になった日ではなかった~
人生で一番強かった日はいつですか。 そう聞かれたら、 若い頃の私は迷わず答えただろう。 世界空手道選手権で優勝した日だと。 四十五歳。 世界中から集まった強豪たち。 その頂点に立った日。 国旗を背負い、 優勝トロフィーを掲げたあの日。 確かにあの日の私は強かった。 しかし六十五歳になった今、 同じ質問をされたら違う答えをする。 人生で一番強かった日は、 世界王者になった日ではない。 医師から、 「肝細胞癌です」 と告げられた日である。 しかも腫瘍は九センチ近くまで成長していた。 余命半年。 そんな言葉も聞いた。 目の前が真っ暗になるとは、 ああいうことを言うのだろう。 世界一になったことも、 過去の栄光も、 その瞬間には何の意味も持たなかった。 人間は死の前では平等である。 強い者も弱い者もない。 私は静かに病院を出た。 空を見上げた。 そして考えた。 これで終わりなのか、と。 だが次の瞬間、 不思議な気持ちが湧いてきた。 まだ終われない。 道場には子供達がいる。 教えなければならないことがある。 見届けたい成長がある。 伝えたい言葉がある。 私
榮一 重松
6月7日読了時間: 3分
敗北が教えてくれたこと~勝利よりも価値のあった一度の負け~
若い頃の私は、 負けることが大嫌いだった。 試合に出る以上は勝ちたい。 いや、 勝たなければ意味がないと思っていた。 だから必死に稽古をした。 誰よりも汗を流し、 誰よりも強くなろうとした。 勝てば嬉しかった。 負ければ悔しかった。 そして私は、 数え切れないほどの勝利を経験した。 しかし今振り返ってみると、 人生を変えたのは勝利ではなかった。 たった一度の敗北だった。 その試合の日のことは今でも覚えている。 自信があった。 負けるとは思っていなかった。 ところが現実は違った。 相手の方が強かった。 何もできなかった。 言い訳のできない完敗だった。 試合後、 私は悔しくて眠れなかった。 何日もその敗北を引きずった。 だが不思議なことに、 時間が経つにつれ、 その敗北は私の人生の教師になっていった。 勝っている時、人は学ばない。 自分は正しいと思っているからだ。 しかし負けた時、 初めて自分の弱さを見る。 慢心。 油断。 驕り。 努力不足。 敗北はそれらを容赦なく教えてくれる。 だから負けることは苦しい。 だが同時に、 人を成長させる。 私は世界一
榮一 重松
6月7日読了時間: 3分
人は何のために強くなるのか~世界一になっても埋まらなかったもの~
若い頃の私は、 強くなれば幸せになれると思っていた。 試合に勝てば。 チャンピオンになれば。 世界一になれば。 きっと何かが満たされると思っていた。 だから私は鍛えた。 誰よりも稽古した。 誰よりも汗を流した。 そして四十五歳の時、 私は世界空手道選手権で優勝した。 世界一。 若い頃から追い続けた夢だった。 表彰台に立った時の喜びは今も忘れない。 しかし不思議なことが起きた。 世界一になったその日、 心の奥にぽっかり空いた穴は埋まらなかったのである。 もちろん嬉しかった。 達成感もあった。 だが、それで人生の答えを手に入れたわけではなかった。 翌日になれば、 また普通の日常が始まる。 人は何のために強くなるのか。 その問いは私の中に残り続けた。 そして人生は、 さらに大きな試練を用意していた。 五十歳で脳梗塞。 六十歳で肝細胞癌。 余命半年。 世界一になったことも、 病気の前では何の役にも立たなかった。 身体は思うように動かない。 将来への不安もあった。 死を考えたことがないと言えば嘘になる。 しかし、その時に私を支えたものがあった。 それは優勝
榮一 重松
6月7日読了時間: 3分
武道を続けた老人と、やめた老人の違い~人生の最後に残るもの~
六十五歳になった今、 私は時々、同年代の人々を見て考えることがある。 武道を続けた人と、 途中でやめた人とでは、 何が違うのだろうかと。 もちろん人生は人それぞれである。 武道をやめたことが悪いわけではない。 それぞれに事情があり、 それぞれの人生がある。 しかし長年、多くの人を見てきて思うことがある。 武道を続けた人は、 年齢を重ねても背筋が伸びている。 目に力がある。 挨拶ができる。 そして何より、 自分の人生を最後まで諦めていない。 若い頃の武道は、 相手と競うためにある。 しかし老境の武道は違う。 昨日の自分に負けないためにある。 今日は道場へ行こう。 今日は挨拶をしよう。 今日は誰かの役に立とう。 その積み重ねが人生になる。 私は五十歳で脳梗塞を経験した。 六十歳では肝細胞癌になった。 余命半年と告げられたこともある。 両膝も壊れている。 正直に言えば、 身体は決して丈夫ではない。 それでも私は今日も道場へ向かう。 なぜか。 まだ誰かの役に立てるからである。 民生委員として地域の高齢者と向き合う。 保護司として人生を踏み外しかけた若者の
榮一 重松
6月7日読了時間: 2分
老いた拳に宿るもの
~若い頃の強さより大切なもの~ 若い頃、私の拳は人を倒すためにあった。 強くなりたい。 勝ちたい。 誰にも負けたくない。 そんな思いで毎日稽古を続けていた。 試合に勝った時は嬉しかった。 強さを認められることが誇りだった。 しかし六十五歳になった今、私の拳はもう若い頃のようには動かない。 両膝は壊れ、長時間歩くことも楽ではない。 それでも私は毎日道場へ向かう。 なぜだろう。 最近になって分かったことがある。 本当に大切なのは、拳の強さではなかった。 心の強さだったのである。 私は現在、民生委員として地域の方々と関わっている。 独り暮らしのお年寄り。 病気に苦しむ人。 誰にも相談できず孤独を抱えている人。 そんな方々と接する中で思う。 人は誰でも、人生のどこかで弱くなる。 若い頃は想像もしなかった苦しみに出会う。 病気。 介護。 孤独。 貧困。 そして絶望。 そんな時に必要なのは、相手を打ち負かす拳ではない。 震える手に、そっと自分の手を重ねる優しさである。 私は保護司としても活動している。 闇バイトに手を出し、人生を踏み外しかけた若者とも向き合っ
榮一 重松
6月7日読了時間: 2分
なぜ武道家は老け方が違うのか
最近、鏡を見るたびに思う。 確かに私は老いた。 髪は白くなり、身体も若い頃のようには動かない。 両膝は壊れ、長い距離を歩くことさえ容易ではない。 それでも私は毎日道場へ向かう。 なぜだろう。 若い頃なら理解できなかったかもしれない。 武道家は年齢を重ねても、どこか違う。 もちろん誰もが老いる。 しかし武道を続けた人間には、不思議な輝きが残る。 それは筋肉ではない。 技でもない。 生きる覚悟である。 私は五十歳の時、脳梗塞で倒れた。 幸い運動神経への大きな後遺症は残らなかったが、人生には終わりがあることを初めて現実として感じた。 そして還暦を迎えた頃、今度は肝細胞癌が見つかった。 腫瘍は九センチ近くまで成長していた。 医師からは厳しい言葉も告げられた。 余命半年。 その言葉を聞いた時、不思議と恐怖はなかった。 なぜなら私は武道を通じて、人生は長さではなく、どう生きるかだと学んでいたからである。 もちろん死にたくはなかった。 まだ指導したい子供達がいた。 まだ伝えたいことがあった。 まだ見届けたい成長があった。 だから私は生きることを諦めなかった。.
榮一 重松
6月7日読了時間: 2分
老境で始まる修行
若い頃、私は強くなることばかり考えていた。 試合に勝つこと。技を磨くこと。人より前に出ること。 武道とは強さを求める道だと思っていた。 しかし六十五歳になった今、若い頃には見えなかったものが見えてくる。 身体は確かに衰える。 かつて軽々とできたことが難しくなり、疲労の回復にも時間がかかる。 だが不思議なことに、 武道の本当の面白さは、ここから始まるのである。 若い頃は相手と戦う。 老境では自分と戦う。 焦りと戦い、驕りと戦い、怠け心と戦う。 毎朝起きて道場へ向かう。 帯を締める。 礼をする。 その一つひとつが修行になる。 武道とは相手を倒すためだけのものではない。 人生を整えるための道である。 宮本武蔵は晩年、『我以外皆我師』の境地に至ったと言われる。 誰からでも学ぶ。 何歳になっても学ぶ。 それが真の武道家の姿であろう。 老境とは終わりではない。 新しい修行の始まりである。 私もまた、 今日も道場に立つ。 未熟な自分を鍛えるために。 「次回:なぜ武道家は老け方が違うのか」
榮一 重松
6月7日読了時間: 1分
松栄塾公式ブログ「老境の武道」
未だ木鶏たりえず 69連勝という前人未到の記録を打ち立てた大横綱双葉山。 その双葉山が晩年まで座右の銘としていた言葉がある。 「未だ木鶏たりえず」 木鶏とは、どれほど挑発されても動じない境地を指す。 若い頃の私は、強さとは相手を倒すことだと思っていた。 試合に勝ち、相手を圧倒し、称賛を受けることが強さだと信じていた。 しかし六十五歳になった今、違う景色が見える。 怒りに流されないこと。 焦らないこと。 驕らないこと。 そして、どれほど経験を積んでも自分を未熟だと思えること。 本当の強さとは、他人に勝つことではなく、自分を制することなのだろう。 双葉山ほどの大横綱ですら、 「私はまだ木鶏になれていない」 と言い続けた。 老境とは衰えではない。 未熟を知り、さらに学び続ける時間である。 私もまた、 未だ木鶏たりえず。 だからこそ今日も稽古を続ける。
榮一 重松
6月7日読了時間: 1分
bottom of page