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人生の師は道場の外にいた

老境の武道 第九章

若い頃の私は、強い人ばかりを追いかけていた。

大山倍達総裁の伝説に胸を躍らせ、極真の猛者たちに憧れ、世界の強豪たちと拳を交えた。

強くなりたかった。

誰よりも強く。

そのために稽古を重ね、血を流し、骨を折り、負ければ悔し涙を流した。

人生の師とは、道場の中にいるものだと思っていた。

しかし六十五年生きてみて分かった。

本当の師は、道場の外にいたのである。

保護司になった時だった。

過ちを犯した少年たちと向き合う機会をいただいた。

彼らは決して生まれながらの悪人ではなかった。

愛情に飢え、認められたくて、居場所を求めていただけだった。

ある少年は私に言った。

「誰も俺を信じてくれなかった」

その言葉は胸に刺さった。

私は空手で何百人もの子どもを指導してきた。

だが、人は技で育つのではない。

信じてもらうことで育つのだ。

そのことを少年たちから教えられた。

民生委員になってからは、さらに多くの人生に触れた。

独り暮らしの老人。

介護に疲れ果てた家族。

助けを求めることすらできない人々。

私は相談に乗るつもりで訪ねていく。

だが帰る頃には、教えられているのはいつも私の方だった。

どれほど苦しい人生でも、

「ありがとう」

と笑う人がいる。

人間の強さとは何だろう。

拳の強さか。

筋肉の大きさか。

違う。

苦しみの中で感謝できる心。

それこそが本当の強さだと知った。

五十歳で脳梗塞になった。

六十歳で肝細胞癌になった。

腫瘍は九センチを超え、医師からは余命半年を告げられた。

目の前が真っ暗になった。

世界大会で負けた時よりも恐ろしかった。

どんな強敵にも立ち向かえた私が、初めて恐怖に震えた。

それでも私は道場へ戻った。

子どもたちが待っていたからだ。

「押忍!」

と元気な声を聞いた瞬間、私はまだ生きていると思った。

そして昨年。

癌は副腎へ転移していた。

死ぬほど苦しい手術だった。

全身から力が抜け、ベッドから起き上がることすらできない。

何度も心が折れそうになった。

しかし私は諦めなかった。

なぜなら、これまで出会った人たちが、もっと苦しい人生を生き抜いていたからだ。

人生には、どうしても勝てない相手がいる。

老い。

病。

別れ。

死。

武道家であろうと、世界チャンピオンであろうと、避けることはできない。

しかし、

負けない生き方はできる。

前を向くこと。

感謝すること。

人を助けること。

それだけは最後までできる。

今の私の師は、

世界チャンピオンではない。

伝説の格闘家でもない。

団地で独り暮らしをする老人。

再出発を目指す少年。

涙を流す子どもたち。

そして病室で苦しみながらも、もう一度立ち上がろうとした自分自身である。

人生は不思議だ。

若い頃は強さを学ぶために武道を始めた。

だが老境になって学んだのは、優しさだった。

拳を握るために始めた武道が、最後は人の手を握るための武道になっていたのである。

だから私は今日も道場に立つ。

まだ学び足りないからだ。

人生の師は、道場の外にいる。

そしてその師たちは、今も私に静かに教え続けてくれている。

「もっと強くなれ」

ではなく、

「もっと優しくなれ」

と。



 
 
 

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