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空手道 松栄塾
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江戸川区西葛西
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👨🏫 道場創設25年以上
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超人伝説 No.2大山倍達総裁
「強さとは、生き様である」 私が若い頃、何度か大山倍達総裁と食事をさせていただいたことがある。 世間では 「牛を倒した男」 「空手バカ一代」 「世界最強の空手家」 として知られている。 しかし私が今でも忘れられないのは、その圧倒的な食欲である。 総裁との食事は戦いだった。 「若いんだから食え!」 そう言われると断れない。 肉が出る。 ご飯が出る。 また肉が出る。 そしてさらにご飯が出る。 私は必死だった。 食べても食べても終わらない。 まるで組手をしているようだった。 今となっては笑い話だが、当時は本当に死ぬほど食べさせられた。 しかし今思えば、あれも総裁の教えだったのだろう。 大山倍達総裁は若い頃、山に籠もり修行をした。 雪の降る山中で一人。 木を殴り続ける。 型を繰り返す。 精神を鍛える。 現代人には想像もできない修行である。 なぜそこまでしたのか。 強くなりたかったからだ。 だが総裁の凄さは、強くなった後にある。 普通の人間は、強くなると威張る。 金を持つと偉そうになる。 地位を持つと人を見下す。 しかし本物は違う。 総裁は世界中に道場を広
榮一 重松
2 日前読了時間: 3分


超人伝説 No.1 宮本武蔵 ― 五輪書に刻まれた老境の極意
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」 武道を学ぶ者で、この言葉を知らぬ者はいない。 その言葉を残した男こそ、剣豪・宮本武蔵である。 武蔵は六十余度の真剣勝負を戦い、一度も敗れなかったと伝えられている。 巌流島の佐々木小次郎との決闘はあまりにも有名だ。 だが、私が武蔵に惹かれるのは、若き日の強さではない。 晩年である。 人は若い頃、強さに憧れる。 速く動きたい。力で勝ちたい。誰よりも強くなりたい。 私も若い頃はそうだった。 世界大会を目指し、日々身体を鍛え、勝利を求めて稽古に励んだ。 しかし、人は必ず老いる。 筋力は落ちる。 反応も鈍くなる。 身体は怪我だらけになる。 若い頃のようには動けない。 それでも武道を続ける意味はあるのだろうか。 その答えを武蔵は晩年に示している。 五輪書を書いたのは六十歳頃。 武蔵は若き日の武勇伝を書きたかったのではない。 人生を通して掴んだ「道」を後世に残したかったのである。 五輪書にはこうある。 「兵法の道は万事に通ず」 これは剣術だけの話ではない。 仕事も。 家庭も。 人間関係も。 人生そのものも。 すべてに
榮一 重松
3 日前読了時間: 3分


東京での伝統空手の魅力
伝統空手は日本の武道の中でも特に歴史と精神性が深いものです。東京という大都市で伝統空手を学ぶことは、単に技術を習得するだけでなく、日本の文化や礼儀作法を身につける貴重な機会となります。私自身も東京で伝統空手を学び始めてから、心身の成長を実感しています。この記事では、東京で伝統空手を学ぶ魅力やその特徴について、わかりやすくご紹介いたします。 東京での伝統空手の環境と魅力 東京は日本の首都であり、多様な文化や人々が集まる場所です。そのため、伝統空手の道場も多種多様で、初心者から上級者まで幅広く対応しています。特に伝統空手は、技術だけでなく礼儀や精神性を重視するため、道場の雰囲気や指導者の質が非常に重要です。 東京の道場では、厳格な礼儀作法を守りながらも、和やかなコミュニティが形成されています。子どもから大人まで、年齢や経験に関係なく一緒に稽古を行うことで、互いに刺激し合いながら成長できる環境が整っています。 また、東京は交通の便が良いため、仕事や学校の後でも通いやすいのが大きな魅力です。忙しい日常の中でも、定期的に稽古に参加しやすい環境が整っているこ
榮一 重松
4 日前読了時間: 5分


第十章 ありがとうと言える強さ
人は強くなりたいと思う。 若い頃の私はそうだった。 試合に勝ちたい。 誰よりも強くなりたい。 世界一になりたい。 そのために拳を握り続けた。 しかし六十五年生きてきて思う。 本当に強い人とは、 勝つ人ではない。 「ありがとう」と言える人である。 人生にはどうにもならない悲しみがある。 愛する人との別れ。 病気。 失敗。 裏切り。 突然の不幸。 どれだけ努力しても避けられない出来事がある。 私も何度も人生に叩きのめされた。 四十代で右腕を骨折した。 五十代で脳梗塞になった。 六十代で肝細胞癌を宣告された。 余命半年。 医師の言葉を聞いた時、 頭の中が真っ白になった。 「なぜ自分なのか」 そう思った。 何十年も身体を鍛えてきた。 健康にも気をつけてきた。 人一倍努力してきた。 それなのに、 なぜこんな目に遭うのか。 悔しかった。 悲しかった。 怖かった。 しかし人生はそこで終わらなかった。 手術を受けた。 治療を続けた。 苦しい日々だった。 そして昨年、 癌は副腎へ転移していた。 再び大きな手術。 死ぬほど苦しかった。 夜中に一人で天井を見つめながら
榮一 重松
6月11日読了時間: 3分
人生の師は道場の外にいた
老境の武道 第九章 若い頃の私は、強い人ばかりを追いかけていた。 大山倍達総裁の伝説に胸を躍らせ、極真の猛者たちに憧れ、世界の強豪たちと拳を交えた。 強くなりたかった。 誰よりも強く。 そのために稽古を重ね、血を流し、骨を折り、負ければ悔し涙を流した。 人生の師とは、道場の中にいるものだと思っていた。 しかし六十五年生きてみて分かった。 本当の師は、道場の外にいたのである。 保護司になった時だった。 過ちを犯した少年たちと向き合う機会をいただいた。 彼らは決して生まれながらの悪人ではなかった。 愛情に飢え、認められたくて、居場所を求めていただけだった。 ある少年は私に言った。 「誰も俺を信じてくれなかった」 その言葉は胸に刺さった。 私は空手で何百人もの子どもを指導してきた。 だが、人は技で育つのではない。 信じてもらうことで育つのだ。 そのことを少年たちから教えられた。 民生委員になってからは、さらに多くの人生に触れた。 独り暮らしの老人。 介護に疲れ果てた家族。 助けを求めることすらできない人々。 私は相談に乗るつもりで訪ねていく。...
榮一 重松
6月11日読了時間: 3分


人生は後半戦からが面白い
六十五歳になった今、私は心からそう思う。 人生は後半戦からが面白い。 若い頃の私が聞いたら、きっと笑っただろう。 人生の頂点は若さにある。 体力もある。 夢もある。 未来もある。 そう思っていた。 だが実際は違った。 人生とは、歳を重ねるほど深くなるものだった。 四十代。 右腕を骨折した。 空手家にとって腕は命だ。 もう思うように戦えないかもしれない。 そう思った。 五十代。 脳梗塞で倒れた。 病院の白い天井を見上げながら、身体が自由に動くことがどれほど有り難いことかを知った。 六十歳。 肝細胞癌。 腫瘍は九センチを超えていた。 医師から告げられた。 「余命半年です」 世界チャンピオンを目指していた若い頃でも、そんな恐怖は味わったことがなかった。 人間は死を目の前にすると、本当に弱くなる。 夜中に目が覚める。 未来が見えない。 不安だけが膨らんでいく。 だが私は道場へ戻った。 子どもたちが待っていた。 仲間たちが待っていた。 そして武道が待っていた。 私は生きることを選んだ。 いや、生き抜くことを選んだのだ。 しかし試練は終わらなかった。 昨年。
榮一 重松
6月11日読了時間: 3分


老境とは衰えることではない
歳を取るということは、失うことだと思っていた。 若い頃のようには走れない。 高く跳べない。 夜遅くまで稽古を続けることも難しい。 鏡を見るたび、白髪が増え、顔には深い皺が刻まれる。 多くの人は、それを「衰え」と呼ぶ。 だが六十五歳になった今、私は少し違う考えを持っている。 老境とは、衰えることではない。 老境とは、本当に大切なものだけが残っていく時間なのだ。 私は四十代で右腕を骨折した。 五十代で脳梗塞になった。 そして六十歳の時、九センチを超える肝細胞癌が見つかった。 医師から告げられた言葉は残酷だった。 「余命半年です」 その瞬間、人生が終わったと思った。 世界チャンピオンになったことも。 数々の試合を戦ったことも。 積み重ねてきた武道も。 全てが遠い過去のように思えた。 だが不思議なことに、人間は本当に追い詰められると、一番大切なものが見えてくる。 私にとってそれは道場だった。 子どもたちの声。 仲間たちの笑顔。 道着の匂い。 床を踏みしめる音。 私はもう一度、そこへ戻りたいと思った。 そして戻った。 ゆっくりだった。 以前のようには動けな
榮一 重松
6月11日読了時間: 2分


人生で一番強かった日
人生で一番強かった日はいつですか。 そう聞かれたら、 昔の私は迷わずこう答えただろう。 「世界選手権で優勝した日です」 と。 世界一になった日。 表彰台の頂点に立った日。 名前がコールされ 会場の視線を浴びながら 歓声を浴び、 優勝トロフィーを抱いた日。 確かにあの日の私は強かった。 誰よりも強かったかもしれない。 しかし六十五歳になった今、 私は違う答えを持っている。 人生で一番強かった日は、 世界チャンピオンになった日ではない。 余命半年を宣告された日から、 再び道場へ戻った日である。 六十歳の頃だった。 医師の顔がいつもと違った。 長年のC型肝炎。 肝硬変。 そして肝細胞癌。 検査結果を見ながら、 医師は静かに言った。 「かなり厳しい状態です」 腫瘍は九センチ近くまで大きくなっていた。 腫瘍マーカーは六千を超えていた。 数字の意味は分からなくても、 それが良くないことだけは理解できた。 そして告げられた。 余命半年。 世界一になった男が、 病院の小さな診察室で、 ただの一人の患者になった。 拳も役に立たない。 技も役に立たない。 段位も役に
榮一 重松
6月10日読了時間: 4分


敗北が教えてくれたこと
人生で本当に自分を育ててくれたのは、 勝利ではなかった。 敗北だった。 若い頃の私は勝つことばかり考えていた。 誰よりも強くなりたい。 世界一になりたい。 そのために稽古を重ねた。 血の滲むような練習もした。 だが人生を振り返ると、 私を大きく成長させたのは、 栄光の日ではなく、 負けてうつむいた日々だった。 1993年。 正道会館カラテワールドカップ。 当時の正道会館には、 「四天王」と呼ばれる怪物たちがいた。 全国の強豪が憧れ、 恐れた男たちである。 私はその舞台に立った。 全力で戦った。 だが結果は敗北だった。 試合が終わった後、 悔しさで眠れなかった。 何が足りなかったのか。 なぜ勝てなかったのか。 頭の中で何度も試合を繰り返した。 しかし今思えば、 あの敗北こそが私を次の世界へ押し上げたのである。 人は勝つと安心する。 だが負けると考える。 敗北は残酷だ。 言い訳も通用しない。 現実だけを突き付けてくる。 だからこそ成長がある。 2000年。 世界大会。 今度はアジアの強豪選手に敗れた。 体格も違う。 パワーも違う。 技術も違う。 世界
榮一 重松
6月10日読了時間: 3分


人は何のために強くなるのか
若い頃の私は強くなりたかった。 誰よりも強く。 誰にも負けないほど強く。 試合に勝ちたい。 ライバルを倒したい。 世界一になりたい。 拳を握る理由は単純だった。 強さとは勝利だと思っていたのである。 しかし六十五年生きてきた今、私は思う。 人は本当に勝つためだけに強くなるのだろうか。 私が空手を始めた頃、強い人間とは喧嘩に勝つ人だと思っていた。 試合で優勝する人だと思っていた。 実際、私は世界選手権で優勝した。 多くの大会で勝利を重ねた。 夢だった世界一にもなった。 だが不思議なことに、その瞬間に人生の答えはなかった。 優勝トロフィーを手にしても、 人生の苦しみは終わらなかった。 四十代で右腕を骨折した。 五十代で脳梗塞になった。 六十代で肝細胞癌を宣告された。 余命半年と言われた。 人生は試合よりもはるかに厳しい相手を用意していた。 どんなに強い蹴りも、 どんなに鋭い突きも、 病気には通用しない。 その時私は初めて知った。 本当の敵は他人ではない。 絶望である。 恐怖である。 諦めである。 病院のベッドで考えた。 強さとは何なのだろう。 勝利と
榮一 重松
6月10日読了時間: 3分


老いた身体に宿るもの
〜人生の闇を殴り続けた男の物語〜 重松栄一 夜中の三時。 目が覚めることがある。 六十五年も生きていると、眠りは若い頃のように深くはない。 膝は痛む。 肩も重い。 そして時々、古傷が話しかけてくる。 「お前はまだ立つのか」 と。 私は静かに笑う。 もちろんだ。 私は武道家だからだ。 若い頃、私は強さを追い求めていた。 誰よりも強くなりたい。 試合で勝ちたい。 人に負けたくない。 拳を握る理由は単純だった。 強さへの憧れだった。 だが人生は、そんな浅い願いを笑うかのように牙を剥く。 四十代。 右腕を骨折した。 武道家にとって腕は剣であり盾だ。 その腕が折れた。 激痛よりも恐ろしかったのは、 「もう元には戻らないかもしれない」 という恐怖だった。 夜になるとその恐怖が枕元に立った。 スティーブン・キングの小説に出てくる怪物のように。 暗闇の中で囁く。 「終わりだ」 と。 しかし私は知っていた。 武道とは、恐怖が消えるのを待つことではない。 恐怖を抱いたまま前に進むことだと。 私は稽古場へ戻った。 少しずつ。 本当に少しずつ。 そして拳は再び握られた。
榮一 重松
6月10日読了時間: 4分


武道精神と教育の役割
武道は単なる技術や体力を鍛えるだけのものではありません。そこには深い精神性があり、礼儀や自己制御、他者への敬意といった価値観が根付いています。私は長年、武道を学び、指導する中で、その精神が教育において非常に重要な役割を果たすことを実感してきました。今回は、武道精神を通じて教育を考えるというテーマで、武道の持つ教育的価値について詳しくお話ししたいと思います。 武道精神と教育の役割 武道精神とは、単に強さや勝利を追求するものではなく、自己の内面を磨き、他者と調和しながら成長していく心のあり方を指します。教育の現場においても、この精神は非常に有効です。例えば、子どもたちが武道を通じて礼儀正しさや忍耐力を身につけることで、学校生活や社会生活においても自信を持って行動できるようになります。 また、武道は「勝ち負け」だけでなく、努力の過程や自己改善を重視します。これは教育の本質とも合致し、学びの過程で失敗を恐れず挑戦し続ける姿勢を育てます。私はこの点が、武道精神が教育において果たす大きな役割だと考えています。 武道精神が育む心身の成長 武道の稽古は、身体を鍛
榮一 重松
6月9日読了時間: 5分
1. 老いた拳に宿るもの
~なぜ私は今も武道を続けているのか~ 若い頃の私は、自分の拳が永遠に強いものだと思っていた。 試合に勝つこと。相手を倒すこと。人より強くなること。 それが武道だと信じていた。 しかし人生は、そんな私に何度も問いを投げかけた。 「お前の強さとは何だ」 と。 最初の試練は四十代だった。 稽古中、私は右腕を骨折した。 武道家にとって腕は命である。 思うように動かない腕を見ながら、私は初めて自分の肉体が永遠ではないことを知った。 若い頃は怪我をしてもすぐ治った。 だが年齢を重ねると回復は遅くなる。 焦りもあった。 不安もあった。 それでも私は道場へ足を運び続けた。 拳が使えないなら足を鍛えた。 足が疲れたら心を鍛えた。 武道は私に教えてくれた。 「失ったものを嘆くより、残されたものを磨け」 と。 次の試練は五十代だった。 突然、脳梗塞に襲われた。 病院の白い天井を見上げながら、 「もしこのまま身体が動かなくなったら」 そんな恐怖に包まれた。 世界大会で優勝した私も、空手八段の私も、 病気の前では一人の無力な人間だった。 一週間の入院。 幸い大きな後遺症は
榮一 重松
6月9日読了時間: 3分
最終章】「老境の武道」~人生最後の日まで私は修行者でありたい~
振り返れば、 長い道だった。 少年時代、 強くなりたくて武道の門を叩いた。 誰よりも強くなりたい。 誰にも負けたくない。 そんな思いだけで始まった道だった。 やがて試合に出るようになった。 勝利の喜びを知った。 敗北の悔しさも知った。 そして四十五歳の時、 世界一になるという夢を叶えた。 あの頃の私は、 頂上に立つことが武道の完成だと思っていた。 しかし人生は、 そんなに簡単なものではなかった。 五十歳で脳梗塞になった。 六十歳では肝細胞癌になった。 余命半年とも告げられた。 両膝も壊れた。 若い頃のように動くことはできない。 思い通りにならないことばかりである。 だが不思議なことに、 今が人生で一番穏やかである。 なぜだろう。 それは武道の本当の意味を、 ようやく理解できたからかもしれない。 武道とは、 人を倒す技ではなかった。 人に勝つためのものでもなかった。 自分自身を磨き続けるための道だった。 民生委員として地域の人々と向き合った。 保護司として人生に迷った若者と向き合った。 道場では子供達と向き合った。 その中で私は知った。 本当に強い
榮一 重松
6月7日読了時間: 3分
【次回】「押忍の本当の意味」 ~六十五年かかって辿り着いた答え~
私は人生で何回、 「押忍」 と言っただろう。 数え切れない。 道場に入る時も押忍。 稽古中も押忍。 先輩に対しても押忍。 試合の時も押忍。 武道家にとって押忍は空気のようなものだった。 若い頃の私は、 押忍とは気合だと思っていた。 強さの象徴だと思っていた。 辛くても耐えること。 苦しくても前へ出ること。 それが押忍だと思っていた。 だから歯を食いしばった。 痛みに耐えた。 負けたくない一心で突き進んだ。 しかし人生は、 私に別の意味を教えた。 五十歳で脳梗塞になった。 六十歳で肝細胞癌になった。 余命半年とも言われた。 両膝も壊れた。 若い頃なら、 そんな自分を認められなかったかもしれない。 強くなければ価値がないと思っていたからだ。 だが老境に入り、 私は初めて知った。 押忍とは、 強がることではない。 現実を受け入れることなのだと。 病気になった自分を受け入れる。 老いた身体を受け入れる。 失敗した自分を受け入れる。 そしてそれでも前を向く。 それが押忍なのだ。 民生委員として、 私は多くの人と出会った。 孤独に苦しむ高齢者。 生活に困る人
榮一 重松
6月7日読了時間: 2分
次回】「ありがとうと言える強さ」 ~武道が最後に教えてくれたもの~
若い頃の私は、 「ありがとう」という言葉が苦手だった。 誰にも負けたくなかった。 誰の世話にもなりたくなかった。 自分の力だけで生きていきたいと思っていた。 だから感謝するよりも、 前へ進むことばかり考えていた。 強くなりたい。 勝ちたい。 認められたい。 そんな思いで生きていた。 しかし人生は、 私に様々なことを教えてくれた。 五十歳で脳梗塞になった。 六十歳で肝細胞癌になった。 余命半年と言われたこともあった。 その時初めて気付いたのである。 人は一人では生きていけないということに。 家族がいた。 仲間がいた。 教え子達がいた。 病院の先生がいた。 励ましてくれる人がいた。 私は強いと思っていた。 だが本当は、 多くの人に支えられて生きていたのである。 道場でも同じだった。 私は子供達を育てているつもりだった。 だが実際には、 子供達に育てられていた。 何度失敗しても立ち上がる姿。 悔し涙を流しながら挑戦する姿。 仲間を応援する優しさ。 その一つひとつが私の心を動かした。 民生委員として活動する中でも、 保護司として若者と向き合う中でも、 私
榮一 重松
6月7日読了時間: 2分
【次回】「人生の師は道場の外にいた」~子供達と出会って教えられたこと~
私は六十年以上、 武道の道を歩いてきた。 数多くの先生方に教えを受けた。 偉大な先輩方とも出会った。 試合を通じて学んだことも数え切れない。 だから若い頃は、 自分は教える側の人間だと思っていた。 道場生に技を教える。 礼儀を教える。 強さを教える。 それが師範の役目だと思っていた。 しかし歳を重ねた今、 私は違う考えにたどり着いた。 本当は私の方が教えられていたのである。 それも、 道場の子供達から。 忘れもしない。 初めて試合で負けて、 人目もはばからず泣いていた少年がいた。 悔し涙を流しながら、 「先生、次は絶対に勝ちます」 と言った。 私は胸を打たれた。 大人になると、 負けた言い訳を探す。 環境のせいにする。 人のせいにする。 だが子供達は違う。 真正面から悔しさを受け止める。 そしてまた立ち上がる。 その姿を見て、 私は初心を思い出した。 まだ、道場がコミュニテイ会館だったころ 心臓弁膜症の子が入門してきた。 彼は激しい運動をできない身体を持って生まれて来てしまった 試合のたび、彼は応援と荷物番をしてくれていた あるとき、「○○君 い
榮一 重松
6月7日読了時間: 3分
【次回】「人生は後半戦からが面白い」~七十歳の自分へ送る手紙~
七十歳の私へ。 今、この手紙を書いている私は六十五歳です。 あと五年。 長いようで短い時間です。 その頃の私はどんな顔をしているでしょうか。 道場には立っていますか。 子供達に怒ったり笑ったりしていますか。 相変わらず膝をさすりながら歩いているのでしょうか。 それとも今より少し元気になっているのでしょうか。 正直に言えば、 若い頃、七十歳になる自分など想像したこともありませんでした。 四十代の頃は世界一になることばかり考えていました。 五十歳で脳梗塞になった時は、 人生が終わるかもしれないと思いました。 六十歳で肝細胞癌になり、 余命半年と言われた時には、 七十歳どころか来年の桜も見られないかもしれないと思いました。 しかし私は今、 こうして生きています。 不思議なものです。 人生は思い通りにならない。 だが思いもよらない奇跡を用意してくれる。 だから七十歳の私へ伝えたい。 どうか年齢を言い訳にしないでください。 どうか夢を捨てないでください。 どうか好奇心を失わないでください。 身体は老いても、 魂まで老いてはいけません。 もし道場に立っている
榮一 重松
6月7日読了時間: 2分
【次回】「老境とは衰えることではない」六十五歳、今が人生で一番幸せな理由~
若い頃、 私は六十五歳という年齢を老人だと思っていた。 体力も落ち、 夢もなくなり、 静かに余生を過ごす年齢だと思っていた。 しかし実際にその歳になってみると、 まったく違う景色が見えている。 確かに身体は衰えた。 両膝は壊れている。 若い頃のように走れない。 疲れも残る。 鏡を見れば白髪も増えた。 だが不思議なことに、 心は若い頃より自由なのである。 若い頃は、 勝つことばかり考えていた。 人より強くなりたい。 人より認められたい。 人より上に立ちたい。 いつも何かと競争していた。 しかし今は違う。 朝、目が覚めるだけで有り難い。 道場へ行けるだけで嬉しい。 子供達の笑顔を見るだけで幸せである。 それは年齢を重ねたからこそ分かる喜びなのかもしれない。 私は五十歳で脳梗塞を経験した。 六十歳では肝細胞癌になった。 余命半年とも言われた。 人生が終わるかもしれない現実を前にして、 私は多くのことを学んだ。 明日が来ることは当たり前ではない。 健康であることも当たり前ではない。 人との出会いも、 笑顔も、 道場での稽古も、 すべて奇跡なのだと。 若い
榮一 重松
6月7日読了時間: 2分
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