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人生は後半戦からが面白い

六十五歳になった今、私は心からそう思う。


人生は後半戦からが面白い。


若い頃の私が聞いたら、きっと笑っただろう。


人生の頂点は若さにある。


体力もある。


夢もある。


未来もある。


そう思っていた。


だが実際は違った。


人生とは、歳を重ねるほど深くなるものだった。


四十代。


右腕を骨折した。


空手家にとって腕は命だ。


もう思うように戦えないかもしれない。


そう思った。


五十代。


脳梗塞で倒れた。


病院の白い天井を見上げながら、身体が自由に動くことがどれほど有り難いことかを知った。


六十歳。


肝細胞癌。


腫瘍は九センチを超えていた。


医師から告げられた。


「余命半年です」


世界チャンピオンを目指していた若い頃でも、そんな恐怖は味わったことがなかった。


人間は死を目の前にすると、本当に弱くなる。


夜中に目が覚める。


未来が見えない。


不安だけが膨らんでいく。


だが私は道場へ戻った。


子どもたちが待っていた。


仲間たちが待っていた。


そして武道が待っていた。


私は生きることを選んだ。


いや、生き抜くことを選んだのだ。


しかし試練は終わらなかった。


昨年。


今度は副腎への転移が見つかった。


腎臓の上にある小さな臓器。


そこに癌が広がっていた。


再び手術。


想像を超える苦しみだった。


身体を切り開かれる痛み。


思うように動けない日々。


夜も眠れない苦しさ。


「もう十分だろう」


そんな声が心のどこかで聞こえた。


だが私はギブアップしなかった。


なぜなら私は武道家だからだ。


武道とは勝つことではない。


最後まで諦めないことだ。


倒されても立つ。


また倒されても立つ。


それを繰り返すことだ。


私はリングで学んだ。


私は病室で学んだ。


私は人生そのもので学んだ。


人間は、限界まで追い込まれた時に本当の強さが現れる。


若い頃は強さを拳の中に探していた。


今は違う。


強さとは、生きようとする意志だ。


感謝できる心だ。


人を愛する力だ。


そして明日を信じる力だ。


今の私は世界チャンピオンを目指していた若者ではない。


病気もした。


手術もした。


膝も痛む。


身体は確実に老いている。


だが不思議なことに、心は若い頃より自由になった。


勝たなくてもいい。


人と比べなくてもいい。


ただ今日を生きればいい。


今日を笑えばいい。


今日を感謝すればいい。


そのことに気付いた。


だから私は思う。


人生は前半戦で勝負するものではない。


人生は後半戦で味わうものだ。


若い頃は未来を追いかける。


老境では人生を味わう。


それは敗北も含めて。


病気も含めて。


別れも含めて。


すべてを抱きしめながら生きることだ。


もし今、老いを恐れている人がいるなら伝えたい。


人生は終わらない。


老境は終着駅ではない。


新しい旅の始まりだ。


私は余命半年を宣告された。


癌は転移もした。


それでも今日、道場で子どもたちの声を聞いている。


仲間と笑っている。


ブログを書いている。


生きている。


だから私は胸を張って言える。


人生は後半戦からが面白い。


本当に面白くなるのは、全てを失う覚悟を知ったその先なのである。


昨年の夏期合宿 AIで総裁の銅像も動かせます

 
 
 

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