1. 老いた拳に宿るもの
- 榮一 重松
- 6 日前
- 読了時間: 3分
~なぜ私は今も武道を続けているのか~
若い頃の私は、自分の拳が永遠に強いものだと思っていた。
試合に勝つこと。相手を倒すこと。人より強くなること。
それが武道だと信じていた。
しかし人生は、そんな私に何度も問いを投げかけた。
「お前の強さとは何だ」
と。
最初の試練は四十代だった。
稽古中、私は右腕を骨折した。
武道家にとって腕は命である。
思うように動かない腕を見ながら、私は初めて自分の肉体が永遠ではないことを知った。
若い頃は怪我をしてもすぐ治った。
だが年齢を重ねると回復は遅くなる。
焦りもあった。
不安もあった。
それでも私は道場へ足を運び続けた。
拳が使えないなら足を鍛えた。
足が疲れたら心を鍛えた。
武道は私に教えてくれた。
「失ったものを嘆くより、残されたものを磨け」
と。
次の試練は五十代だった。
突然、脳梗塞に襲われた。
病院の白い天井を見上げながら、
「もしこのまま身体が動かなくなったら」
そんな恐怖に包まれた。
世界大会で優勝した私も、空手八段の私も、
病気の前では一人の無力な人間だった。
一週間の入院。
幸い大きな後遺症は残らなかった。
だが、あの日ほど命の有り難さを感じたことはない。
歩けること。
走れること。
拳を握れること。
それは当たり前ではなかった。
武道を続けてきたからこそ、
諦めなかった。
「もう一度立つ」
ただその一念で私は稽古場へ戻った。
そして六十代。
人生最大の試練が訪れる。
肝細胞癌。
腫瘍は九センチ。
腫瘍マーカーは六千を超えていた。
医師から説明を受けた時、
私は静かに死を意識した。
どれほど強い人間も、いつかは命の終わりを迎える。
それが現実だった。
塞栓術を受けながら、
私は何度も考えた。
「武道とは何だったのか」
若い頃は勝つためだった。
中年では自分を鍛えるためだった。
だが老境に入った今、
その答えは変わった。
武道とは、
生きるための道だった。
苦しい時に逃げないため。
絶望の中でも希望を捨てないため。
倒れても立ち上がるため。
武道は相手を倒す技術ではなく、
自分自身に負けないための修行だったのである。
六十五歳になった今、
若い頃のようなスピードはない。
怪我の治りも遅い。
疲労の回復にも時間がかかる。
だが不思議なことに、
心は若い頃よりも強くなった。
骨折が教えてくれた。
脳梗塞が教えてくれた。
癌が教えてくれた。
人間の本当の強さは、拳の強さではない。
何度倒れても、立ち上がる心の強さである。
私は今も道場に立つ。
子どもたちに技を教えながら、
人生を教わっている。
老いた拳には若さはない。
だが、
その拳には人生が宿っている。
痛みも、
苦しみも、
敗北も、
病も、
すべてを抱えてなお前に進む力が宿っている。
だから私は今日も稽古をする。
人生最後の日まで。
修行者として。
武道家として。
そして、一人の人間として。
老いた拳に宿るもの。
それは技ではない。
それは、生き抜いてきた人生そのものである。



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