top of page

【次回】「押忍の本当の意味」     ~六十五年かかって辿り着いた答え~

私は人生で何回、


「押忍」


と言っただろう。


数え切れない。


道場に入る時も押忍。


稽古中も押忍。


先輩に対しても押忍。


試合の時も押忍。


武道家にとって押忍は空気のようなものだった。


若い頃の私は、


押忍とは気合だと思っていた。


強さの象徴だと思っていた。


辛くても耐えること。


苦しくても前へ出ること。


それが押忍だと思っていた。


だから歯を食いしばった。


痛みに耐えた。


負けたくない一心で突き進んだ。


しかし人生は、


私に別の意味を教えた。


五十歳で脳梗塞になった。


六十歳で肝細胞癌になった。


余命半年とも言われた。


両膝も壊れた。


若い頃なら、


そんな自分を認められなかったかもしれない。


強くなければ価値がないと思っていたからだ。


だが老境に入り、


私は初めて知った。


押忍とは、


強がることではない。


現実を受け入れることなのだと。


病気になった自分を受け入れる。


老いた身体を受け入れる。


失敗した自分を受け入れる。


そしてそれでも前を向く。


それが押忍なのだ。


民生委員として、


私は多くの人と出会った。


孤独に苦しむ高齢者。


生活に困る人。


誰にも相談できず涙を流す人。


保護司としては、


人生を踏み外した若者達とも向き合った。


その時に気付いた。


本当に強い人は、


大きな声で押忍と言う人ではない。


苦しい人生を背負いながらも、


今日を生きようとする人である。


誰にも見えない場所で、


必死に頑張っている人である。


その姿こそが押忍なのだ。


若い頃、


私は押忍を気合の言葉だと思っていた。


六十五歳になった今、


押忍は感謝の言葉だと思っている。


生かされていることへの感謝。


支えてくれた人への感謝。


今日も道場に立てることへの感謝。


そして、


また明日を迎えられることへの感謝。


押忍。


その二文字の中には、


人生そのものが詰まっている。


耐えることも。


挑戦することも。


感謝することも。


許すことも。


愛することも。


すべて含まれている。


私は六十五年かかって、


ようやくその意味に辿り着いた。


だから今日も道場で、


子供達と一緒に声を出す。


押忍。


それは気合ではない。


人生への感謝なのである。


【最終章】


「老境の武道」


~人生最後の日まで私は修行者でありたい~

 
 
 

最新記事

すべて表示
人生の師は道場の外にいた

老境の武道 第九章 若い頃の私は、強い人ばかりを追いかけていた。 大山倍達総裁の伝説に胸を躍らせ、極真の猛者たちに憧れ、世界の強豪たちと拳を交えた。 強くなりたかった。 誰よりも強く。 そのために稽古を重ね、血を流し、骨を折り、負ければ悔し涙を流した。 人生の師とは、道場の中にいるものだと思っていた。 しかし六十五年生きてみて分かった。 本当の師は、道場の外にいたのである。 保護司になった時だった

 
 
 

コメント


bottom of page