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老いた身体に宿るもの

〜人生の闇を殴り続けた男の物語〜

重松栄一

夜中の三時。

目が覚めることがある。

六十五年も生きていると、眠りは若い頃のように深くはない。

膝は痛む。

肩も重い。

そして時々、古傷が話しかけてくる。

「お前はまだ立つのか」

と。

私は静かに笑う。

もちろんだ。

私は武道家だからだ。

若い頃、私は強さを追い求めていた。

誰よりも強くなりたい。

試合で勝ちたい。

人に負けたくない。

拳を握る理由は単純だった。

強さへの憧れだった。

だが人生は、そんな浅い願いを笑うかのように牙を剥く。

四十代。

右腕を骨折した。

武道家にとって腕は剣であり盾だ。

その腕が折れた。

激痛よりも恐ろしかったのは、

「もう元には戻らないかもしれない」

という恐怖だった。

夜になるとその恐怖が枕元に立った。

スティーブン・キングの小説に出てくる怪物のように。

暗闇の中で囁く。

「終わりだ」

と。

しかし私は知っていた。

武道とは、恐怖が消えるのを待つことではない。

恐怖を抱いたまま前に進むことだと。

私は稽古場へ戻った。

少しずつ。

本当に少しずつ。

そして拳は再び握られた。

だが人生の怪物は一匹ではなかった。

五十代。

脳梗塞。

病院の白い天井。

独特の消毒液の匂い。

医師の真剣な顔。

その時、人は初めて知る。

本当の敵は対戦相手ではない。

自分の身体そのものなのだと。

人間は永遠には戦えない。

肉体はいずれ裏切る。

どれほど鍛えても。

どれほど勝利しても。

死は静かに近づいてくる。

私は病室でそれを感じた。

しかし武道は不思議なものだ。

何十年も続けてきた型。

何千回も繰り返した呼吸。

何万回も立った自然体。

それらが心の奥で生きていた。

身体は弱っても、

心まで倒れる必要はない。

武道は私にそう教えていた。

私は戻った。

再び道場へ。

再び子供達の前へ。

再び人生へ。

そして六十代。

最も大きな闇がやってきた。

肝細胞癌。

腫瘍九センチ。

腫瘍マーカー六千超。

余命半年。

医師の口から告げられた言葉は、

どんな試合の判定負けよりも重かった。

世界選手権の決勝よりも重かった。

人生で最も重い一撃だった。

夜。

病室の窓に映る自分を見る。

そこには世界チャンピオンはいなかった。

空手八段もいなかった。

ただ、

死を恐れる一人の老人がいた。

人は皆そうだ。

最後は肩書きなど消える。

残るのは生きたいという本能だけだ。

私は怖かった。

本当に怖かった。

だがその時、

ふと思った。

これまで私は何を学んできたのだろう。

何十年も武道を続けてきた意味は何だったのだろう。

武道とは、

勝つためだけの技術ではない。

生きるための哲学だ。

倒れた時に立ち上がるための学問だ。

闇の中で希望を探すための灯火だ。

私は治療を受けた。

苦しかった。

辛かった。

何度も心が折れそうになった。

だが、

折れそうになるたびに、

道場の子供達の顔が浮かんだ。

仲間の顔が浮かんだ。

家族の顔が浮かんだ。

そして私はもう一度立ち上がった。

気が付けば、

余命半年と言われた男は、

今も道場に立っている。

今も子供達に拳の握り方を教えている。

今も人生を学んでいる。

若い頃、

拳は人を倒すためにあると思っていた。

だが違った。

老いてようやく分かった。

拳とは、

人生に負けないためにある。

絶望に負けないためにある。

病に負けないためにある。

自分自身に負けないためにある。

私の拳はもう若くない。

かつてのようなスピードもない。

かつてのような力もない。

だが、

若い頃にはなかったものがある。

それは経験だ。

苦しみだ。

感謝だ。

そして生き抜いた時間だ。

老いた拳に宿るもの。

それは強さではない。

優しさだ。

人の痛みが分かる心だ。

涙を知った者だけが持てる静かな力だ。

武道は若者だけのものではない。

老境にこそ武道の真価がある。

人生の嵐を越えた者だけが見える景色がある。

私は今日も道場に立つ。

そして静かに拳を握る。

その拳の中には、

四十代の骨折も、

五十代の脳梗塞も、

六十代の癌も、

すべてが宿っている。

だから私は知っている。

人は何度倒れてもいい。

立ち上がる限り、

人生は終わらない。

老いた拳に宿るもの。

それは、

生きる力そのものなのである。

押忍。 🥋

右腕が折れたとき1年間腕に入っていたアルミ棒
右腕が折れたとき1年間腕に入っていたアルミ棒

 
 
 

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