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第十章 ありがとうと言える強さ

人は強くなりたいと思う。

若い頃の私はそうだった。

試合に勝ちたい。

誰よりも強くなりたい。

世界一になりたい。

そのために拳を握り続けた。

しかし六十五年生きてきて思う。

本当に強い人とは、

勝つ人ではない。

「ありがとう」と言える人である。

人生にはどうにもならない悲しみがある。

愛する人との別れ。

病気。

失敗。

裏切り。

突然の不幸。

どれだけ努力しても避けられない出来事がある。

私も何度も人生に叩きのめされた。

四十代で右腕を骨折した。

五十代で脳梗塞になった。

六十代で肝細胞癌を宣告された。

余命半年。

医師の言葉を聞いた時、

頭の中が真っ白になった。

「なぜ自分なのか」

そう思った。

何十年も身体を鍛えてきた。

健康にも気をつけてきた。

人一倍努力してきた。

それなのに、

なぜこんな目に遭うのか。

悔しかった。

悲しかった。

怖かった。

しかし人生はそこで終わらなかった。

手術を受けた。

治療を続けた。

苦しい日々だった。

そして昨年、

癌は副腎へ転移していた。

再び大きな手術。

死ぬほど苦しかった。

夜中に一人で天井を見つめながら、

「もう勘弁してくれ」

と思ったこともある。

だが不思議なことに、

人は苦しみの中でしか見えない景色がある。

病院のベッドで私は気付いた。

歩けることは奇跡だった。

食事ができることは奇跡だった。

朝が来ることも奇跡だった。

当たり前だと思っていたものが、

本当は当たり前ではなかったのである。

道場へ戻った日。

子どもたちが声を揃えて言った。

「押忍!」

その瞬間、

涙が出そうになった。

私は生かされている。

そう思った。

保護司として出会った少年たち。

民生委員として出会った高齢者たち。

病院で出会った患者さんたち。

みんなそれぞれに苦しみを抱えていた。

誰一人として、

楽な人生を歩いている人はいなかった。

それでも笑っていた。

それでも前を向いていた。

私はその姿から教えられた。

人生は幸せだから感謝するのではない。

感謝するから幸せになれるのだと。

もし今、

深い悲しみの中にいる人がいたら伝えたい。

無理に元気にならなくていい。

泣きたい時は泣けばいい。

立ち上がれない日があってもいい。

人生には冬がある。

吹雪の日もある。

だが冬の先には必ず春が来る。

それだけは信じてほしい。

私も何度も倒れた。

何度も諦めそうになった。

それでもここまで来られた。

特別な人間だからではない。

ただ、

今日一日だけ頑張ろう。

そう思い続けただけである。

明日のことは分からない。

一年後のことも分からない。

だが今日だけは生きられる。

今日だけは笑える。

今日だけは誰かに優しくできる。

その積み重ねが人生になる。

若い頃、

私は強さを拳の中に探していた。

老いた今、

私は強さを感謝の中に見つけた。

病気にもありがとう。

苦しみにもありがとう。

出会った人たちにもありがとう。

そして、

ここまで生きてきた自分にもありがとう。

人生の最後に残るものは、

地位でもない。

名誉でもない。

財産でもない。

感謝である。

「ありがとう」

そう言える人は強い。

本当に強い。

私はそう信じている。

だから今日も生きる。

感謝を胸に。

ありがとうと言える強さを忘れずに。

押忍。


息子の敦史塾長
息子の敦史塾長

 
 
 

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