第十章 ありがとうと言える強さ
- 榮一 重松
- 4 日前
- 読了時間: 3分
人は強くなりたいと思う。
若い頃の私はそうだった。
試合に勝ちたい。
誰よりも強くなりたい。
世界一になりたい。
そのために拳を握り続けた。
しかし六十五年生きてきて思う。
本当に強い人とは、
勝つ人ではない。
「ありがとう」と言える人である。
人生にはどうにもならない悲しみがある。
愛する人との別れ。
病気。
失敗。
裏切り。
突然の不幸。
どれだけ努力しても避けられない出来事がある。
私も何度も人生に叩きのめされた。
四十代で右腕を骨折した。
五十代で脳梗塞になった。
六十代で肝細胞癌を宣告された。
余命半年。
医師の言葉を聞いた時、
頭の中が真っ白になった。
「なぜ自分なのか」
そう思った。
何十年も身体を鍛えてきた。
健康にも気をつけてきた。
人一倍努力してきた。
それなのに、
なぜこんな目に遭うのか。
悔しかった。
悲しかった。
怖かった。
しかし人生はそこで終わらなかった。
手術を受けた。
治療を続けた。
苦しい日々だった。
そして昨年、
癌は副腎へ転移していた。
再び大きな手術。
死ぬほど苦しかった。
夜中に一人で天井を見つめながら、
「もう勘弁してくれ」
と思ったこともある。
だが不思議なことに、
人は苦しみの中でしか見えない景色がある。
病院のベッドで私は気付いた。
歩けることは奇跡だった。
食事ができることは奇跡だった。
朝が来ることも奇跡だった。
当たり前だと思っていたものが、
本当は当たり前ではなかったのである。
道場へ戻った日。
子どもたちが声を揃えて言った。
「押忍!」
その瞬間、
涙が出そうになった。
私は生かされている。
そう思った。
保護司として出会った少年たち。
民生委員として出会った高齢者たち。
病院で出会った患者さんたち。
みんなそれぞれに苦しみを抱えていた。
誰一人として、
楽な人生を歩いている人はいなかった。
それでも笑っていた。
それでも前を向いていた。
私はその姿から教えられた。
人生は幸せだから感謝するのではない。
感謝するから幸せになれるのだと。
もし今、
深い悲しみの中にいる人がいたら伝えたい。
無理に元気にならなくていい。
泣きたい時は泣けばいい。
立ち上がれない日があってもいい。
人生には冬がある。
吹雪の日もある。
だが冬の先には必ず春が来る。
それだけは信じてほしい。
私も何度も倒れた。
何度も諦めそうになった。
それでもここまで来られた。
特別な人間だからではない。
ただ、
今日一日だけ頑張ろう。
そう思い続けただけである。
明日のことは分からない。
一年後のことも分からない。
だが今日だけは生きられる。
今日だけは笑える。
今日だけは誰かに優しくできる。
その積み重ねが人生になる。
若い頃、
私は強さを拳の中に探していた。
老いた今、
私は強さを感謝の中に見つけた。
病気にもありがとう。
苦しみにもありがとう。
出会った人たちにもありがとう。
そして、
ここまで生きてきた自分にもありがとう。
人生の最後に残るものは、
地位でもない。
名誉でもない。
財産でもない。
感謝である。
「ありがとう」
そう言える人は強い。
本当に強い。
私はそう信じている。
だから今日も生きる。
感謝を胸に。
ありがとうと言える強さを忘れずに。
押忍。



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