最終章】「老境の武道」~人生最後の日まで私は修行者でありたい~
- 榮一 重松
- 6月7日
- 読了時間: 3分
振り返れば、
長い道だった。
少年時代、
強くなりたくて武道の門を叩いた。
誰よりも強くなりたい。
誰にも負けたくない。
そんな思いだけで始まった道だった。
やがて試合に出るようになった。
勝利の喜びを知った。
敗北の悔しさも知った。
そして四十五歳の時、
世界一になるという夢を叶えた。
あの頃の私は、
頂上に立つことが武道の完成だと思っていた。
しかし人生は、
そんなに簡単なものではなかった。
五十歳で脳梗塞になった。
六十歳では肝細胞癌になった。
余命半年とも告げられた。
両膝も壊れた。
若い頃のように動くことはできない。
思い通りにならないことばかりである。
だが不思議なことに、
今が人生で一番穏やかである。
なぜだろう。
それは武道の本当の意味を、
ようやく理解できたからかもしれない。
武道とは、
人を倒す技ではなかった。
人に勝つためのものでもなかった。
自分自身を磨き続けるための道だった。
民生委員として地域の人々と向き合った。
保護司として人生に迷った若者と向き合った。
道場では子供達と向き合った。
その中で私は知った。
本当に強い人とは、
人を支えられる人であることを。
涙を流す人の話を聞ける人であることを。
震える手に、
そっと手を添えられる人であることを。
若い頃の私は、
拳を鍛えていた。
老境に入った私は、
心を鍛えている。
それが武道の最後の修行なのだろう。
最近、
道場の子供達を見ていると嬉しくなる。
元気に挨拶する姿。
仲間を応援する姿。
負けても立ち上がる姿。
その姿の中に、
未来を見る。
私がいなくなった後も、
武道の心は受け継がれていく。
そう思うと安心する。
人はいつか必ず老いる。
そしていつか必ず旅立つ。
それは避けられない。
しかし私は恐れていない。
なぜなら人生は、
勝ち負けではないことを知ったからである。
どれだけ人を愛せたか。
どれだけ人に感謝できたか。
どれだけ人の役に立てたか。
最後に問われるのは、
そのことだけなのだと思う。
私はまだ修行の途中である。
六十五歳になった今も、
未熟である。
知らないことも多い。
反省することも多い。
だから今日も学ぶ。
今日も稽古する。
今日も人と向き合う。
人生最後の日まで、
私は完成しないだろう。
完成しないから面白い。
完成しないから歩き続ける。
それが武道であり、
それが人生なのだと思う。
もし明日、
再び道場の床に立てるなら、
私はいつものように礼をするだろう。
そして静かにこう言う。
押忍。
その一言に、
六十五年の人生への感謝を込めながら。
老境とは終わりではない。
人生最後の修行が始まる場所である。
私はこれからも歩いていく。
人生最後の日まで、
一人の修行者として。




コメント