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【次回】「老境とは衰えることではない」六十五歳、今が人生で一番幸せな理由~

若い頃、


私は六十五歳という年齢を老人だと思っていた。


体力も落ち、


夢もなくなり、


静かに余生を過ごす年齢だと思っていた。


しかし実際にその歳になってみると、


まったく違う景色が見えている。


確かに身体は衰えた。


両膝は壊れている。


若い頃のように走れない。


疲れも残る。


鏡を見れば白髪も増えた。


だが不思議なことに、


心は若い頃より自由なのである。


若い頃は、


勝つことばかり考えていた。


人より強くなりたい。


人より認められたい。


人より上に立ちたい。


いつも何かと競争していた。


しかし今は違う。


朝、目が覚めるだけで有り難い。


道場へ行けるだけで嬉しい。


子供達の笑顔を見るだけで幸せである。


それは年齢を重ねたからこそ分かる喜びなのかもしれない。


私は五十歳で脳梗塞を経験した。


六十歳では肝細胞癌になった。


余命半年とも言われた。


人生が終わるかもしれない現実を前にして、


私は多くのことを学んだ。


明日が来ることは当たり前ではない。


健康であることも当たり前ではない。


人との出会いも、


笑顔も、


道場での稽古も、


すべて奇跡なのだと。


若い頃の私は、


幸せは未来にあると思っていた。


もっと強くなったら。


もっと成功したら。


もっと豊かになったら。


しかし今は違う。


幸せとは、


今ここにあることに気付く力なのだと思う。


民生委員として地域の方々と関わる。


保護司として道に迷った若者と向き合う。


道場では子供達の成長を見守る。


世界王者になった時よりも、


一人の子供が挨拶できるようになった時の方が嬉しい。


一人の若者が人生をやり直そうと決意した時の方が感動する。


それが老境というものなのかもしれない。


若さは失った。


だが代わりに得たものがある。


焦らない心。


比べない心。


感謝する心。


そして人を許す心である。


老境とは衰えることではない。


人生の本当の豊かさに気付くことである。


私は六十五歳になった。


身体は確実に老いた。


だが心は今、


人生で最も満たされている。


だから私は言える。


今が人生で一番幸せだと。


そして明日もまた、


道場へ向かう。


子供達の声を聞き、


仲間達と笑い、


生かされていることに感謝しながら。


老境とは終着点ではない。


人生という旅が、


ようやく本当に面白くなる入り口なのである。


【次回】


「人生は後半戦からが面白い」


~七十歳の自分へ送る手紙~

 
 
 

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