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人生で一番強かった日~世界王者になった日ではなかった~

人生で一番強かった日はいつですか。


そう聞かれたら、


若い頃の私は迷わず答えただろう。


世界空手道選手権で優勝した日だと。


四十五歳。


世界中から集まった強豪たち。


その頂点に立った日。


国旗を背負い、


優勝トロフィーを掲げたあの日。


確かにあの日の私は強かった。


しかし六十五歳になった今、


同じ質問をされたら違う答えをする。


人生で一番強かった日は、


世界王者になった日ではない。


医師から、


「肝細胞癌です」


と告げられた日である。


しかも腫瘍は九センチ近くまで成長していた。


余命半年。


そんな言葉も聞いた。


目の前が真っ暗になるとは、


ああいうことを言うのだろう。


世界一になったことも、


過去の栄光も、


その瞬間には何の意味も持たなかった。


人間は死の前では平等である。


強い者も弱い者もない。


私は静かに病院を出た。


空を見上げた。


そして考えた。


これで終わりなのか、と。


だが次の瞬間、


不思議な気持ちが湧いてきた。


まだ終われない。


道場には子供達がいる。


教えなければならないことがある。


見届けたい成長がある。


伝えたい言葉がある。


私は死ぬわけにはいかない。


その日から私の闘いが始まった。


相手は世界王者でもなければ、


格闘家でもない。


癌という見えない敵だった。


治療の日々。


不安な夜。


弱気になる心。


本当に苦しかった。


しかし私は諦めなかった。


なぜなら武道が教えてくれたからである。


勝負は最後まで分からない。


立ち上がる限り負けではない。


今日も一歩。


明日も一歩。


その積み重ねが人生なのだと。


気が付けば私は生きていた。


余命半年と言われた人間が、


今も道場に立っている。


子供達の前で号令をかけている。


笑っている。


人生とは不思議なものである。


私は今でも世界王者になったことを誇りに思う。


しかし、


人生で一番強かった日は、


トロフィーを掲げた日ではない。


病と向き合い、


死と向き合い、


それでも前を向くことを決めた日である。


本当の強さとは、


相手を倒す力ではない。


絶望の中でも希望を失わない力である。


私は武道を通じて、


そのことを学んだ。


だから今日も道場へ向かう。


両膝は痛む。


身体も若い頃のようには動かない。


それでも歩く。


まだ生かされている意味があると信じているからだ。


人生で一番強かった日。


それは世界王者になった日ではない。


「まだ生きる」と決めた日だったのである。




【次回】


「老境とは衰えることではない」


~六十五歳、今が人生で一番幸せな理由~

 
 
 

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