敗北が教えてくれたこと
- 榮一 重松
- 5 日前
- 読了時間: 3分
人生で本当に自分を育ててくれたのは、
勝利ではなかった。
敗北だった。
若い頃の私は勝つことばかり考えていた。
誰よりも強くなりたい。
世界一になりたい。
そのために稽古を重ねた。
血の滲むような練習もした。
だが人生を振り返ると、
私を大きく成長させたのは、
栄光の日ではなく、
負けてうつむいた日々だった。
1993年。
正道会館カラテワールドカップ。
当時の正道会館には、
「四天王」と呼ばれる怪物たちがいた。
全国の強豪が憧れ、
恐れた男たちである。
私はその舞台に立った。
全力で戦った。
だが結果は敗北だった。
試合が終わった後、
悔しさで眠れなかった。
何が足りなかったのか。
なぜ勝てなかったのか。
頭の中で何度も試合を繰り返した。
しかし今思えば、
あの敗北こそが私を次の世界へ押し上げたのである。
人は勝つと安心する。
だが負けると考える。
敗北は残酷だ。
言い訳も通用しない。
現実だけを突き付けてくる。
だからこそ成長がある。
2000年。
世界大会。
今度はアジアの強豪選手に敗れた。
体格も違う。
パワーも違う。
技術も違う。
世界にはこんな選手がいるのか。
正直そう思った。
だが同時に嬉しくもあった。
自分がまだ未熟だと知れたからである。
若い頃は、
敗北は恥だと思っていた。
だが今は違う。
敗北は財産である。
負けた経験のない人間は、
人の痛みが分からない。
負けた経験のない指導者は、
子どもの涙を理解できない。
負けた経験のない大人は、
人生の本当の厳しさを語れない。
道場で試合に負けて泣く少年を見る。
私はいつも言う。
「その涙は宝物だぞ」
と。
なぜなら私自身、
数え切れない敗北に育てられてきたからだ。
ところが不思議なことが起きた。
四十歳を過ぎてからである。
私はほとんど負けなくなった。
大会に出ても勝ち続けた。
マスターズ大会でも優勝した。
世界大会でも頂点に立った。
周囲からは、
「重松先生は強いですね」
と言われた。
だが本人は違うことを考えていた。
若い頃ほど嬉しくなかったのである。
なぜか。
負けの重みを知ってしまったからだ。
勝利は一日で終わる。
しかし敗北は何年も心に残る。
そしてその傷が人を育てる。
六十五歳になった今、
人生最大の師は誰だったのかと聞かれたら、
私はこう答える。
「私を倒した人たちです」
と。
正道の四天王。
世界大会のアジア選手。
そして名前も忘れてしまった数多くの強豪たち。
彼らがいなければ、
今の私は存在しない。
宮本武蔵は数多くの勝負に勝った。
だが五輪書に残したのは勝利の自慢話ではない。
学びである。
達人たちは皆知っている。
人を育てるのは勝利ではない。
敗北だということを。
人生も同じである。
病気に負けそうになった。
怪我に負けそうになった。
運命に負けそうになった。
だがそのたびに立ち上がった。
だから今ここにいる。
若い人たちに伝えたい。
負けることを恐れるな。
負けた時こそ前を向け。
試合に負けても人生は終わらない。
むしろそこから始まる。
私が世界一になれたのは、
勝ち続けたからではない。
負け続けても辞めなかったからだ。
だから今でも胸を張って言える。
人生で一番価値のある勝利は、
他人に勝つことではない。
敗北の後、
もう一度立ち上がることである。
押忍。




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