超人伝説 No.2大山倍達総裁
- 榮一 重松
- 2 日前
- 読了時間: 3分
「強さとは、生き様である」
私が若い頃、何度か大山倍達総裁と食事をさせていただいたことがある。
世間では
「牛を倒した男」
「空手バカ一代」
「世界最強の空手家」
として知られている。
しかし私が今でも忘れられないのは、その圧倒的な食欲である。
総裁との食事は戦いだった。
「若いんだから食え!」
そう言われると断れない。
肉が出る。
ご飯が出る。
また肉が出る。
そしてさらにご飯が出る。
私は必死だった。
食べても食べても終わらない。
まるで組手をしているようだった。
今となっては笑い話だが、当時は本当に死ぬほど食べさせられた。
しかし今思えば、あれも総裁の教えだったのだろう。
大山倍達総裁は若い頃、山に籠もり修行をした。
雪の降る山中で一人。
木を殴り続ける。
型を繰り返す。
精神を鍛える。
現代人には想像もできない修行である。
なぜそこまでしたのか。
強くなりたかったからだ。
だが総裁の凄さは、強くなった後にある。
普通の人間は、強くなると威張る。
金を持つと偉そうになる。
地位を持つと人を見下す。
しかし本物は違う。
総裁は世界中に道場を広げながらも、常に挑戦者であり続けた。
「まだ強くなれる」
そう信じていた。
だからご自身と戦い続けた。
ご自分の握られた拳を見て「これで本当に良いのかまだわからない」と言われたそうだ。
私も若い頃は
「もっと強くなりたい」
そう思っていた。
世界大会も目指した。
勝つために稽古した。
だが六十五歳になった今、強さの意味が変わった。
病気になった。
脳梗塞も経験した。
肝細胞癌では余命宣告も受けた。
膝も痛む。
若い頃のようには動けない。
それでも道場に立つ。
子供達を指導する。
社会に役立とうとする。
すると分かる。
本当の強さとは、人を倒す力ではない。
人生に負けない力なのだ。
総裁はよく言われた。
「頭は低く、目は高く、口慎んで、心広く、孝を原点とし、他を益する」
極真空手の精神である。
若い頃は意味が分からなかった。
しかし老境に入った今なら分かる。
強さとは優しさであり、
強さとは謙虚さであり、
強さとは人のために生きることなのだ。
近年、様々な憶測が情報として流れた。
「本当は戦ったことなどない」
「金の亡者であり多重結婚をしていた」
多くの人達が、亡くなった後、批判や評論を始めた。
しかし、現代の格闘技ブーム、なかんずくフルコンタクト空手の
礎を築かれたのは間違いなく大山総裁である。
私は今でも時々思い出す。
総裁との食事を。
山盛りの肉。
終わらないご飯。
豪快な笑い声。
そして圧倒的な存在感。
あの時はただ苦しかった。
しかし今となっては宝物である。
人生で本当に偉大な人物に会える機会は少ない。
私は幸運にも、その一人と同じ食卓を囲むことができた。
大山倍達総裁は亡くなった。
だがその魂は消えていない。
今も世界中の道場で受け継がれている。
そして私たち武道家の心の中にも生きている。
強さとは何か。
その問いに人生をかけた男。
それが大山倍達総裁である。
押忍。






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