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西島洋介物語 最終章

6月30日
読了時間: 6分

人生のチャンピオンベルト


私と西島洋介さんの物語も、そろそろ筆を置く時が来たのかもしれない。

ボブ・サップとの引退試合を終えたあと、西島さんはもう二度とリングに立つことはないと、心のどこかで決めていたように思う。あの一戦は、彼にとって単なる勝利ではなかった。過去の敗北、傷ついた誇り、そして「ボクサー西島洋介」という魂を、もう一度自分の手に取り戻すための戦いだった。

だからこそ、あの試合の後、彼は静かにリングを降りるべきだったのかもしれない。

しかし、戦う男の人生は、本人の意思だけでは終われない時がある。周囲の期待。過去の栄光。まだ見たい、もう一度だけ見たいという声。それらは時として、本人の傷ついた身体よりも大きな力となって、再び男を戦場へ押し戻してしまう。

いっそのこと、プロレスラーとして生きる道もあったのかもしれない。それはそれで、一つの立派な生き方である。だが、西島洋介という男は、根っからエンターテイメントの戦いに向いている人間ではなかった。

彼は不器用なほど真っ直ぐだった。殴るなら、本気で殴る。倒すなら、本気で倒す。リングの上で笑顔を作り、観客の期待に合わせて物語を演じることができる男ではなかった。

モハメド・アリ追悼試合の話が持ち上がった時もそうだった。かつてアントニオ猪木会長とモハメド・アリが戦った、あの歴史的異種格闘技戦。その記念碑のような意味を込めて、西島さんは柔術王者との対戦相手として指名された。

そのご縁により、私たちは猪木会長と食事をさせていただく機会を得た。それは、格闘技に関わる者として、夢のような時間であった。

しかし、西島さん自身は、その試合にあまり乗り気ではなかった。私はその姿を見て、ふと思った。

この人は、お金のために戦ったことがないのではないか。

もちろん、人は生きていかなければならない。生活をするには経済力が必要である。戦いを仕事として受けることも、時には避けられない。それがエンターテイメントとしての依頼であるならば、なおさら割り切らなければならない場面もある。

それでも、西島さんの中には、最後まで消えないものがあった。それは「本物の戦い」に身を置いてきた者だけが持つ、どうしようもない不器用さだった。

その後も、数回のエキシビションマッチや、「夢の対決」と呼ばれる試合に、私はたびたびセコンドとしてついた。

真剣勝負のあり方については、倉本成春師範にもご相談させていただいた。それでも、私の胸中はいつも複雑だった。

これは本当に、彼が望んでいる戦いなのだろうか。これは本当に、彼のためになる道なのだろうか。

リングに立つ西島さんの姿は、やはり特別だった。だが同時に、私はその背中に、言葉にできない寂しさを見るようになっていた。

やがて、私自身が彼の試合に深く関わることは少なくなっていった。試合の選別や交渉、状況判断は、別のマネージャーが仕切るようになった。

そして、最後に悲劇が起きた。

それはプロレスなのか、真剣勝負なのか、外から見ても判然としないような試合だった。その試合で、西島さんは頭部を強打された。脳挫傷。格闘家にとって、あまりにも重い怪我だった。

もともと彼の脳は、長年の戦いによって深刻なダメージを受けていた。その上でのノックアウト負けである。しばらくは、本当に深刻な状態が続いた。

私は祈ることしかできなかった。あれほど強かった男が、あれほどリングの上で輝いた男が、病室で静かに回復を待っている。その現実は、私の胸に深く突き刺さった。

幸いにも、西島さんは何とか回復し、現在は日常生活に大きな支障もなく過ごしている。それだけでも、本当にありがたいことだと思う。

かつて、倉本塾局長の押山正先生は、西島さんの状況を知ると、私にこう助言してくださった。

「もう二度と、試合をさせてはいけない」

その言葉は、今も私の胸の奥に残っている。

戦いに生きてきた者は、たとえ身体がボロボロになっても、戦い続けることでしか自分の存在を確認できない時がある。私は、そういう格闘家たちをたくさん見てきた。

リングを降りた瞬間、自分が何者なのかわからなくなる。拍手が消え、照明が落ち、歓声が過去になる。その静けさに耐えられず、もう一度だけ、もう一度だけと、戦場へ戻っていく。

だが、私は思う。

それは本当に武術なのだろうか。

ボブ・サップ戦でレフェリーを務めてくださった平直行先生は、かつてこう教えてくださった。

武術には「活殺」がある。相手を倒す術の前に、相手を活かす術がある。

その言葉の重みを、私は年齢を重ねるごとに深く感じるようになった。

相手を倒す技術も、もちろん素晴らしい。勝負に命を懸ける姿も、人の心を打つ。だが最後にたどり着くべき場所は、人を傷つける力ではなく、人を生かす力ではないのか。

今、平先生は治療や回復、身体を活性化させる術を中心に活動されているという。その姿を見るにつけ、私自身もまた、これまでの体験を生かし、人を健康にする術を学び続けたいと思うようになった。

戦いとは、倒すことだけではない。生き抜くこともまた、戦いである。そして誰かを立ち上がらせることも、立派な武術なのだと思う。

二年前の試合での事故により、現在、西島さんは免許証を取り上げられてしまい、移動のほとんどを自転車に頼っている。かつて世界を相手に拳を振るった男が、今は自転車で町を走っている。その姿を想像すると、胸が締めつけられる。

どうか状況が改善され、再び免許証が交付される日が来ることを、私は心から願っている。

現在、西島洋介さんは、チェーン店の日本蕎麦屋で働きながら、そばの技術を修行している。かつて世界のリングで拳を磨いた男が、今は包丁を握り、麺と向き合っている。

だが私は、それを悲しいとは思わない。むしろ、そこに新しい戦いを見る。

彼は今も戦っている。相手はもう、ボブ・サップでも、柔術王者でもない。リングの上の敵でもない。

人生そのものだ。

西島さんには夢がある。いつの日か「西島ヌードル」という店を作り、うまいラーメンやそばを提供すること。その夢を語る彼の姿に、私はかつてのリング上の眼差しと同じものを見る。

不器用で、真っ直ぐで、傷だらけで、それでも前を向こうとする男の眼差しである。

私の大好きな映画『ロッキー・ザ・ファイナル』に、忘れられない場面がある。ロッキーが息子に語る。

人生は、どんな重いパンチよりも厳しい。どれだけ強く打てるかではない。どれだけ打たれても、前に進み続けられるか。それこそが本当の強さなのだ、と。

私はその言葉を聞くたびに、西島洋介という男を思い出す。

孤独で、不運で、あまりにも不器用な天才ボクサー。けれど、その拳には、確かに一つの時代が宿っていた。その背中には、敗れた者にしか語れない真実があった。

西島洋介さん。あなたの戦いは、まだ終わっていない。

リングの上で巻かれるベルトだけが、チャンピオンベルトではない。倒れても立ち上がる者に。傷ついても人を恨まない者に。過去の栄光にすがらず、新しい人生を歩こうとする者に。神様は、もう一度、見えないベルトを巻いてくださるのだと思う。

私は心から祈っている。

孤独で不運な天才ボクサー、西島洋介に、再び人生のチャンピオンベルトが巻かれる日を。

押忍

ビデオ西島洋介物語
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ボブ・サップと
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IBFクルーザー級チャンピオン西島洋介
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