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西島洋介物語 パート2

6月28日
読了時間: 6分

――孤独な拳は、まだ終わっていない――


本日、西島洋介さんと共に、チャクリキ元会長・甘井先生の偲ぶ会に参列してきた。

会場には、かつて格闘技の世界に人生を懸けた者たちの静かな息遣いがあった。勝利の歓声も、敗北の沈黙も、時が経てばすべて遠い記憶になる。しかし、人の心に残る恩だけは、決して色褪せることがない。

席上、西島洋介さんは立ち上がり、静かに言葉を紡いだ。

「三度も引退試合をさせてくださった甘井さんには、心から感謝の念を禁じません」

その声は大きくはなかった。だが、その一言一言には、リングに立った男にしか背負えない重みがあった。

夏が合宿にて 有岡先生と寝技研究
夏が合宿にて 有岡先生と寝技研究

私も挨拶をさせていただいた。

「K-1、PRIDEなどの異種格闘技戦で七戦全敗だった西島洋介さんが、世界的格闘家ボブ・サップを二ラウンドでノックアウトできたのは、ひとえに甘井先生のお力添えがあったからです」

そう話しながら、私は当時のことを思い出していた。

西島洋介という男は、ボクシングの天才であった。だが、格闘技の世界は時に残酷である。自分の土俵ではない場所で戦い続け、敗れ続けた男に、世間は簡単に「終わった」という言葉を投げつける。

しかし、甘井先生は違った。まだ西島洋介の拳に宿る火を信じていた。そして、その火が消えかけた時、もう一度リングへ上がる道を作ってくださった。

ボブ・サップ戦。あの試合は、ただの勝利ではなかった。西島洋介という男が、もう一度自分自身を取り戻した夜であった。

私はさらに話した。

「また、アントニオ猪木会長と中華料理屋さんでお話をさせていただけたのも、甘井先生のご配慮でした」

思えば、あの時間もまた、夢のようであった。昭和、平成、そして令和へと続く格闘技の歴史の中で、自分のような者がその席に同席できたこと。それもまた、甘井先生が結んでくださったご縁であった。

西島洋介物語パート2では、ボブ・サップとの引退試合以降の西島洋介さんについて書いていきたい。

華やかなリングの照明が消えた後、男にはもう一つの戦いが待っていた。それは、観客のいない戦いであった。拍手もない。判定もない。ただ、生きるための戦いであった。

引退試合の頃、西島さんは奥様と離婚された。そこには、他人には決して踏み込めない事情があったことだろう。夫婦にしかわからない時間があり、家族にしかわからない痛みがある。

ただ一つ言えることがある。彼は、家族と離れ、一人になっても、なお前へ進もうとしていた。

以前にも書いたが、西島さんには二人の息子さんがいる。私が初めて西島さんと深く接した時、彼に対して抱いた印象は「とても子ども好きなお父さん」というものだった。

子どもを見る目が優しかった。息子たちの話をする時、表情が柔らかくなった。リングの上では孤独なファイターであっても、家庭の中では不器用なほど子煩悩な父親だったのだと思う。

では、なぜそんな西島さんが、家族と離れてまで引退試合に向かったのか。

それは、本人にしかわからない。

格闘家・青木真也さんが、かつてリング上で叫んだ言葉を思い出す。

「女房を捨てて、子供を捨てて、家庭を壊して、それでも自分の好きなことをする。どうだ、お前らうらやましいだろう」

その言葉は、乱暴で、痛々しく、そして恐ろしく正直だった。

夢を追うことは、美しい言葉だけでは語れない。理想を貫くことは、決して綺麗事では済まされない。ましてや格闘家という生き方は、名誉や収入が保証された道ではない。勝てば称賛され、負ければ忘れられる。その中で生きる者にしかわからない苦しみがある。

孤独なボクシングの天才、西島洋介さんもまた、その一人であった。

一時期、西島さんは松栄塾道場で寝泊まりをしていた。畳の上で眠り、道場の空気を吸いながら、次の日を迎えていた。

南葛西にある自宅マンションは、西島さん自身の住まいであった。だが彼は、これまで苦労をかけた奥様と子どもたちのために、その場所を渡していたようだった。

リングを降りた男は、そこで人生の次のラウンドを迎えた。

ラーメン屋。築地の朝売り現場。商品の配達。回転寿司屋。そして、スポーツバーの経営。

西島さんは、いくつもの仕事をしながら生きていた。かつて世界を目指した拳で、荷物を運び、厨房に立ち、店に立った。

だが、現実は簡単ではなかった。どれだけ努力しても、収入はその日の生活費に消えていく。夢を追った男に、社会は決して甘くない。

運動の才能と、経営の才能はまったく別物である。リングの上でどれほど輝いた者でも、人生の会計までは誰も代わりにしてくれない。

それは、私自身にも痛いほどわかる。私も決して経済的に恵まれた人生を歩んできたわけではない。武道に生きるとは、時に世間から見れば愚かに見えるほど、不器用な道である。

では、なぜそれでも続けるのか。なぜ、苦役とも言える修行を、自ら背負い続けるのか。

その答えの一端は、西島さんがマーク・ハント戦の前後に語った言葉の中にある。

「有名になりたくてやったのではない。強くなりたくてやったのだから、誰にも文句は言えません」

この言葉を聞いた時、私は胸を打たれた。

現代において、最もわかりやすい強さとは何か。それは、おそらく経済力である。表社会でも、裏社会でも、金を持つ者が強いと言われる時代である。

西島さんも、それをわかっていないはずがない。わかっていながら、それでもなお、彼は違う強さを求めていた。

金では買えない強さ。名声では満たされない強さ。誰にも見られていない場所で、自分に負けない強さ。

それは、自己の確立である。どんな状況に置かれても、どれほど惨めな夜を越えても、最後の最後で自分自身を裏切らないという覚悟である。

今日、西島さんと話していて、最後にたどり着いた結論がある。

「大逆転は、起こり得る」

それは、慰めではない。願望でもない。青春時代のすべてを競技に捧げ、身体を削り、人生を懸けてきた者たちが、最後に信じるべき言葉である。

若い頃の私たちは、勝つことが修行だと思っていた。相手を倒すことが強さだと思っていた。だが、老境に差しかかった今、少しずつわかってきた。

本当の修行は、勝てなくなってから始まる。拍手が消えてから始まる。誰にも期待されなくなってから始まる。

それでも、もう一度立ち上がれるか。それでも、自分の人生に最後の一撃を打ち込めるか。

西島洋介という男の物語は、まだ終わっていない。いや、むしろ本当の物語は、ここから始まるのかもしれない。

リングの照明は消えた。観客の歓声も遠くなった。だが、彼の胸の奥には、まだ消えていない火がある。

その火が、もう一度燃え上がる日を、私は信じている。

――続く。

 
 
 

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