老境の武道 西島洋介編
更新日:7月14日
西島洋介編 第一話
失われた誇りを取り戻すために
西島洋介さんとの出会いは、今から十五年ほど前に遡ります。きっかけは、当時小学校五年生だった次男の豪くんが、松栄塾に入門してきたことでした。最初、私はまったく気づきませんでした。しかし、ある日、突然道場に一人の男が現れました。それが、元IBF世界クルーザー級チャンピオン、西島洋介でした。
西島さんはその頃、すでにボクシングを引退していました。その後、格闘家としてK-1やPRIDEなどのリングに上がっていましたが、結果は七戦全敗。彼はそのことを深く恥じていました。「俺はボクシングの名を下げた最低の男だ」と言って、自分自身を責めていたのです。その姿は、かつて世界の頂点に立った男とは思えないほど痛々しかったのです。
ある意味、彼の心は深く傷ついていたのだと思います。私は、全身全霊で彼に伝えました。「君はボクシングで負けたのではない。K-1もPRIDEも、君の土俵ではなかっただけだ」と。そして、こう続けました。「もし俺がマネージャーだったら、1ラウンドはボクシングルール、もう1ラウンドはK-1やPRIDEのルールにした。そうでなければ、本当の勝負とは言えない」。
西島洋介の誇り
西島洋介という男は、ボクシングの世界で頂点を極めた男です。その拳で世界を獲った男です。しかし、違う土俵に立たされ、違うルールで戦い、その結果だけで自分の人生すべてを否定していました。私は、それがどうしても許せませんでした。
しかし、私一人の言葉だけでは、彼の心に届き切らないかもしれないと感じました。そこで、当時、師と慕っていた倉本成春師範のもとへ、西島さんを連れて行きました。倉本師範は、まるで傷ついた弟子を迎えるように、温かく彼を励ましてくださいました。そして、ただ慰めるだけではなく、ボクシングを活かすための総合武術の技を惜しみなく伝授してくださったのです。
その時間は、西島さんにとって大きな転機だったと思います。人は、どれほど強くても、負けることがあります。どれほど輝かしい実績を持っていても、心が折れることがあります。しかし、本当に大切なのは、そこからどう立ち上がるかです。
新たな挑戦
それから時は流れました。ある日、チャクリキジャパンの甘井社長より、西島さんに一つの話が舞い込みました。それは、野獣ボブ・サップとの引退試合です。ボブ・サップといえば、身長二メートル、体重百三十キロを超える巨漢です。格闘技界を震撼させた、まさに“野獣”と呼ぶにふさわしい存在でした。
最初、西島さんはあまり乗り気ではありませんでした。しかし、私は言いました。「この一戦に勝てば、今までの格闘技全敗という過去を払拭できる。最後に、自分の拳で答えを出せる」と。その言葉が彼の心に響いたのか、松栄塾でのトレーニングが始まりました。
相手は二メートルの巨漢です。普通のミット打ちでは、距離感も高さもまったく違います。そこで道場にあるマットを何枚も積み重ね、高さを作りました。私はその上に乗り、ボブ・サップの身長を想定してミットを受けました。西島さんは、何度も何度も拳を打ち込みました。ただ勝つためではなく、失われた誇りを取り戻すために。
勝利の瞬間
そして、熊本で行われた「LEGEND」のリング。西島洋介は、見事にボブ・サップを2ラウンドKOで下しました。それは単なる勝利ではありませんでした。格闘技で全敗した男が、最後に世界的な格闘家ボブ・サップを倒したのです。それも、自らの原点である拳で倒したのでした。
ボブ・サップは、かつてアメリカの興行でマイク・タイソンに挑戦状を叩きつけたこともある男です。その意味でも、西島さんがボクシングの力でボブ・サップを倒したことは、彼の格闘技人生における大きな功績だったと言えるでしょう。
あの日、西島洋介は一つの終止符を打ちました。敗北の記憶に。自責の念に。そして、自分を「最低の男」だと責め続けてきた過去に。しかし――。彼の人生の本当の戦いは、実はここから始まるのです。この時の私は、まだそのことを想像することさえできませんでした。
続く。

小池













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