西島洋介さんとの出会いは、今から十五年ほど前に遡る。 きっかけは、当時小学校五年生だった次男の豪くんが、松栄塾に入門してきたことだった。 最初、私はまったく気づかなかった。 ところがある日、突然、道場に一人の男が現れた。 それが、元IBF世界クルーザー級チャンピオン、西島洋介だった。 西島さんはその頃、すでにボクシングを引退していた。 その後、格闘家としてK-1やPRIDEなどのリングに上がっていたが、結果は七戦全敗。 彼はそのことを深く恥じていた。 「俺はボクシングの名を下げた最低の男だ」 そう言って、自分自身を責めていた。 その姿は、かつて世界の頂点に立った男とは思えないほど、痛々しかった。 ある意味、心が深く傷ついていたのだと思う。 私は、全身全霊で彼に伝えた。 「君はボクシングで負けたんじゃない。K-1もPRIDEも、君の土俵ではなかっただけだ」 そして、こう続けた。 「もし俺がマネージャーだったら、1ラウンドはボクシングルール、もう1ラウンドはK-1やPRIDEのルールにした。そうでなければ、本当の勝負とは言えない」 西島洋介という男は、ボクシングの世界で頂点を極めた男である。 その拳で世界を獲った男である。 しかし、違う土俵に立たされ、違うルールで戦い、その結果だけで自分の人生すべてを否定していた。 私は、それがどうしても許せなかった。 だが、私一人の言葉だけでは、彼の心に届き切らないかもしれない。 そう感じた私は、当時、師と慕っていた倉本成春師範のもとへ、西島さんを連れて行った。 倉本師範は、まるで傷ついた弟子を迎えるように、温かく彼を励ましてくださった。 そして、ただ慰めるだけではなく、ボクシングを活かすための総合武術の技を、惜しみなく伝授してくださった。 その時間は、西島さんにとって大きな転機だったと思う。 人は、どれほど強くても、負けることがある。 どれほど輝かしい実績を持っていても、心が折れることがある。 しかし、本当に大切なのは、そこからどう立ち上がるかである。 それから時は流れた。 ある日、チャクリキジャパンの甘井社長より、西島さんに一つの話が舞い込んだ。 野獣ボブ・サップとの引退試合である。 ボブ・サップといえば、身長二メートル、体重百三十キロを超える巨漢。 格闘技界を震撼させた、まさに“野獣”と呼ぶにふわしい存在だった。 最初、西島さんはあまり乗り気ではなかった。 だが私は言った。 「この一戦に勝てば、今までの格闘技全敗という過去を払拭できる。最後に、自分の拳で答えを出せる」 そこから、松栄塾でのトレーニングが始まった。 相手は二メートルの巨漢である。 普通のミット打ちでは、距離感も高さもまったく違う。 そこで道場にあるマットを何枚も積み重ね、高さを作った。 私はその上に乗り、ボブ・サップの身長を想定してミットを受けた。 西島さんは、何度も何度も拳を打ち込んだ。 ただ勝つためではない。 失われた誇りを取り戻すために。 そして熊本で行われた「LEGEND」のリング。 西島洋介は、見事にボブ・サップを2ラウンドKOで下した。 それは単なる勝利ではなかった。 格闘技で全敗した男が、最後に世界的な格闘家ボブ・サップを倒した。 それも、自らの原点である拳で倒したのである。 ボブ・サップは、かつてアメリカの興行でマイク・タイソンに挑戦状を叩きつけたこともある男だ。 その意味でも、西島さんがボクシングの力でボブ・サップを倒したことは、彼の格闘技人生における大きな功績だったと言える。 あの日、西島洋介は一つの終止符を打った。 敗北の記憶に。 自責の念に。 そして、自分を「最低の男」だと責め続けてきた過去に。 しかし――。 彼の人生の本当の戦いは、実はここから始まる。 この時の私は、まだそのことを想像することさえできなかった。 続く。