人は本当に強い人に出会うと、言葉を失う。 私にとって、その一人が倉本成春師範である。 出会いは今から十五年以上前に遡る。 倉本塾局長である押山先生のご紹介で、大塚にある「倉や」を訪れた。 倉本先生の奥様が切り盛りするその店で、私は初めて伝説の超人と対面した。 その瞬間の光景は今も忘れられない。 大山倍達総裁を彷彿とさせる巨大な胸板。 まるで鎧のような背中。 長年の局部鍛錬で鍛え上げられた拳は、まるでボクシンググローブのように大きかった。 私は思わず圧倒された。 だが、その次の瞬間だった。 先生は満面の笑みを浮かべ、 「倉本です」 と、若輩者の私に深々と頭を下げてくださったのである。 私は驚いた。 本当に強い人は威張らない。 本当に大きな人は、自分を大きく見せようとしない。 そのことを私は倉本先生から学んだ。 その後、私は倉本塾広報の一員として「倉本超人セミナー」の立ち上げに参加させていただいた。 数多くの学びをいただいたが、その中でも生涯忘れられない思い出がある。 当時、私の道場にトレーニングに来ていた元WBF世界クルーザー級チャンピオン、西島洋介君とのご縁である。 西島君の引退試合。 熊本で開催された格闘技イベント「レジェンド」。 対戦相手は、あの野獣ボブ・サップ。 誰もが苦戦を予想していた。 倉本先生は、何をアドバイスするわけでもなく緊張する西島洋介に 「かつての武士は戦場に赴くときに、心から振り絞って気合いをうねりだしたという 私たちもそれに見習って戦場へ赴こう」と気合いを入れてくださった セコンドでボブ・サップうぃ睨め着ける倉本師範、サップは人知れぬ殺気を感じていたことだろう 西島洋介は二ラウンドKO勝利を収めた。 そしてそのコーナーには、静かに立つ倉本成春師範の姿があった。 私はその光景を見ながら思った。 勝利とは一人で掴むものではない。 そこには必ず導く人がいる。 そして倉本先生は、まさにそういう人だった。 ある日、忘れられない食事会があった。 アントニオ猪木会長が、西島洋介君と私を招いてくださったのである。 席上、西島君が質問した。 「会長が戦った中で一番強かった相手は誰ですか?」 私も興味津々だった。 空手家の私はウィリー・ウィリアムスを期待した。 ボクサーの西島君はモハメド・アリを期待した。 しかし猪木会長は笑いながら言った。 「つまらねぇ質問だな」 そして、 「アンドレだよ」 と答えた。 理由も面白かった。 あの巨大な身体で元サッカー選手。 リング外から殴って逃げた男が入口近くまで全力で走ったのに、気が付けばすぐ後ろに立っていたという伝説があるほど俊敏だったという。 私も西島君も少し拍子抜けした。 だが後に、その答えの深さを知ることになる。 同じ質問を倉本先生にもしてみたことがある。 「先生が思う一番強かった選手は誰ですか?」 先生は少し考えた。 そして静かに答えた。 「んー……現役時代の西島洋介だな」 私は驚いた。 目の前にいるのは数々の伝説を残した超人である。 自分の武勇伝を語っても誰も不思議に思わない。 しかし先生は違った。 さらにこう続けられた。 「強さというのはな、その場所、その時代、その背景によって変わるんだよ。」 「今日のチャンピオンも、明日にはただの人になる。」 私は胸を打たれた。 そこには傲慢さも見栄もなかった。 ただ真理だけがあった。 そして何より、教え子への深い愛情があった。 倉本先生は数多くの格闘家を育ててきた。 RISEライト級王者の丹羽圭介選手。 RIZINファイターのシビサイ頌真選手。 その他、多くのトップファイター達。 だが私が尊敬するのは、その実績ではない。 人を大切にする心である。 どんな相手にも分け隔てなく接し、 若い選手を励まし、 悩む者の話を最後まで聞く。 その姿勢は昔も今も変わらない。 数年前。 倉本塾の年末パーティーで、私は僭越ながら挨拶をさせていただいた。 緊張で何を話したかも覚えていない。 だが、終わった後に先生からかけていただいた言葉だけは忘れられない。 「君は何かになるよ。」 その一言が、今も私の心に残っている。 六十五歳になった今。 私はまだ何者にもなれていない。 空手家としても。 指導者としても。 人間としても。 未だ修行の途中である。 だが、だからこそ思う。 脳梗塞を乗り越え肝臓癌から生還したのはあの激励があったからだと。 誰かの言葉を胸に、歩き続けるために生きるのだと。 超人とは何だろう。 若い頃の私は、 強い拳を持つ人を超人だと思っていた。 だが老境に入った今は違う。 人を思いやれる人。 人を育てられる人。 人を励ませる人。 その優しさを持った人こそ、本当の超人なのだと思う。 倉本成春師範。 私にとってその名は、強さの象徴だけではない。 究極優しさの象徴なのである。 押忍。