老境の武道 第7弾 昭和の三四郎・古賀稔彦先生
優しさこそ、本当の強さだった
武道には、勝敗を超えて人の心に残る人がいる。
私にとって、その一人が柔道家・古賀稔彦先生である。
「平成の三四郎」と呼ばれ、古賀稔彦は世界を制した柔道家だった。
豪快な一本背負い。
度重なる怪我を乗り越えた不屈の精神。
誰もが「最強の柔道家」として古賀先生を記憶している。
しかし、私の心に残っているのは、その強さではない。
あの優しい笑顔である。
ある日、私は民生児童委員として千葉県の児童養護施設を視察する機会があった。
施設内を見学していると、一角に武道場があった。
そこには、神奈川県にある古賀塾の分支部が設けられていたのである。
父が柔道家だった私は、自然と足が道場へ向いた。
「どんな先生が指導されているのだろう。」
そう思いながら道場へ入ると、そこに立っていたのは、なんとオリンピック金メダリストの古賀稔彦先生ご本人だった。
私は思わず名乗った。
「私は空手の重松栄一と申します。」
すると古賀先生は、満面の笑みを浮かべながらこう言われた。
「空手、すごいですよね。痛くないのですか?」
その言葉には、驕りも威圧感もまったくなかった。
世界の頂点に立った人とは思えないほど、柔らかく、温かい笑顔だった。
私はその瞬間、
「本当に強い人ほど、人に優しい。」
ということを改めて教えられた。
武道には流派がある。
空手も柔道も剣道も合気道も、それぞれ歩んできた歴史が違う。
しかし、極めた者同士には、流派を超えた敬意がある。
古賀先生の一言には、その武道家としての器の大きさがにじみ出ていた。
その後、古賀先生が若くして癌で亡くなられたと聞いた時、私は大きな衝撃を受けた。
世界一の柔道家でありながら、人生はあまりにも短かった。
武道の神様は、なぜあれほど素晴らしい人を早く連れて行ってしまったのだろう。
今でもそう思うことがある。
私は五十歳で脳梗塞を患い、六十歳では肝細胞癌を宣告された。
余命半年と言われた。
それでも今、生かされている。
だから私は思う。
古賀先生の分まで生きよう。
一日でも長く。
一人でも多くの子どもたちに。
武道が教えてくれる礼儀、勇気、思いやり、挑戦する心を伝え続けたい。
それが、生かされた私に与えられた使命なのかもしれない。
古賀先生は、柔道で世界を制した。
私は世界を制することはできなかったかもしれない。
しかし、子どもたちの心の中に、
「最後まで諦めない心」
「人を思いやる優しさ」
を残すことならできるかもしれない。
それこそが、武道家として最後に残すべき一本なのだと思う。
老境の一言
「本当に強い人は、人を倒した数ではなく、人を育てた数で人生を語られる。」
古賀稔彦先生の笑顔は、今も私の心の中で生き続けている。
そして私もまた、その笑顔を未来の子どもたちへ受け継いでいきたい。
押忍















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