老境の武道 第五弾 塩田剛三
「本当に強い人は争わない」
私は子供の頃、何度か合気道の達人・塩田剛三先生にお会いしたことがある。
父・重松栄治が柔道の選抜選手だった関係で、ご縁をいただいたのだ。
当時の私はまだ少年だった。
稽古が始まると道場の空気は一変する。
小柄な老人が立っているだけなのに、誰も近づけない。
弟子達は緊張し、道場には張り詰めた空気が漂う。
まるで鬼神。
それが塩田剛三だった。
ところが稽古が終わると別人になる。
道場には卓袱台が並べられ、
刺身が並び、
酒が注がれ、
政財界の大物たちが肩書きを外して集まる。
大臣も社長も官僚も関係ない。
皆が笑いながら酒を酌み交わしていた。
その輪の中心には塩田先生がいた。
私は子供心に思った。
「この人は、人を倒すために強いのではない」
と。
むしろ、
「人をつなげるために強いのだ」
と。
塩田先生はよく言われた。
「合気とは何ですか?」
すると豪快に笑いながら答える。
「君のことを殺しに来た人と仲良くなることだよ。」
周囲は笑う。
だが先生は本気だった。
武道の世界では強さを語る人は多い。
何人倒した。
何回優勝した。
何段になった。
しかし塩田先生が目指したのは、その先だった。
敵を倒すことではない。
敵を敵でなくすることだった。
私も六十五年生きてきた。
世界大会にも出た。
優勝も経験した。
脳梗塞にもなった。
肝臓癌で余命半年とも言われた。
膝も壊れた。
若い頃のように動けない。
しかし今になって思う。
本当に難しいのは、
相手を倒すことではない。
許すことだ。
受け入れることだ。
仲良くなることだ。
若い頃は拳で勝てば終わりだった。
だが人生はそう簡単ではない。
夫婦もそう。
親子もそう。
職場もそう。
地域活動もそう。
保護司も民生委員もそうだ。
正論で人は変わらない。
力でも変わらない。
相手を理解しようとした時に初めて変わる。
塩田先生はそのことを知っていたのだろう。
晩年の塩田先生は不思議だった。
若い頃より強く見えた。
筋肉は落ちている。
体力も衰えている。
それなのに誰も敵わない。
なぜか。
力で戦っていなかったからだ。
相手と争っていなかったからだ。
武道は最後、
「勝つ技術」
から
「争わない技術」
へと変わる。
宮本武蔵は剣を置いた。
双葉山は「未だ木鶏たりえず」と言った。
大山倍達は晩年、人間教育を語った。
そして塩田剛三はこう言った。
「殺しに来た人と仲良くなることだ。」
武道の達人たちは皆、
最後は同じ場所に辿り着く。
それは強さの頂点ではない。
優しさの頂点である。
私も老境に入り、
ようやく少しだけ分かってきた。
若い頃は相手を倒したかった。
今は相手と笑いたい。
塩田先生が卓袱台を囲みながら見せてくれた笑顔。
あれこそが合気だったのだろう。
あれこそが老境の武道だったのだろう。
押忍。












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