老境の武術 第8弾狂気のキックボクシング会長渡辺ジム 渡辺信久会長
若き日に、人は時として、自分の信じてきた強さを壊される出会いを経験する。
私にとって渡辺信久会長との出会いは、まさにそれだった。
空手の突きに誇りを持っていた私が、顔面攻撃という未知の恐怖を前に立ち尽くした時、渡辺会長は甘い慰めではなく、逃げ場のない稽古で私を鍛えてくださった。
狂気のように見えた厳しさ。
しかし老境に入った今、その奥にあったものは、格闘技への純粋な愛と、弟子を最後まで見捨てない師の情であったと分かる。
老境の武術・第七弾は、K-1前夜の時代に私が出会った、忘れ得ぬキックボクシング会長、渡辺信久先生への感謝の記録である。
あれは、まだK-1という巨大な嵐が、日本格闘技界に吹き荒れる一年前のことだった。
一九九二年。
私は、正道会館の全日本選手権大会に挑戦した。
今でこそ、空手、キックボクシング、総合格闘技の垣根は低くなった。しかし当時は違う。空手には空手の誇りがあり、キックにはキックの殺気があり、ボクシングにはボクシングの厳格な技術体系があった。
その境界線を越えることは、単なるルール変更ではなかった。
自分の信じてきた武道観を、一度壊すことでもあった。
当時の正道会館は、すでにキックボクシングを視野に入れていた。大会ルールも独特だった。通常は空手ルールで戦う。しかし延長戦に入ると、グローブを着用し、顔面攻撃ありのルールへと変わる。
つまり、空手家でありながら、最後は拳で顔面を打ち抜く世界へ引きずり込まれるのである。
私はそれまで、伝統空手の直突きを愛していた。
構え、間合い、踏み込み、そして一瞬の極め。
相手の中心を射抜くような一本の突き。
そこには、空手家としての美学があった。
だが、グローブをつけた瞬間、その美学は通用しなくなる。
顔面を打たれる恐怖。
距離の違い。
拳の重さ。
そして何より、相手の目が変わる。
空手の試合で向かい合う相手の目とは、明らかに違う。そこには、相手を倒すための、もっと生々しい殺気が宿っていた。
私はそれまで、直突き以外の顔面攻撃を、ほとんど稽古してこなかった。
ジャブ、ストレート、フック、アッパー。
顔面を守るガード。
打たれながらも崩れない姿勢。
そして、打たれる恐怖に心を支配されない胆力。
それらは、空手の稽古だけでは身につかないものだった。
私は悟った。
このままでは勝てない。
いや、勝つ以前に、顔面ありの戦いを知らぬままリングに上がることは、あまりにも無謀だった。
その時、私が稽古をお願いしたのが、渡辺ジムの渡辺信久会長である。
渡辺会長は、ひと言で表すなら、狂気の人だった。
もちろん、それは悪い意味ではない。
常識の枠に収まらない、格闘技への執念。
勝つことへの異常なまでのこだわり。
選手を強くするためなら、優しささえも刃に変えるような男。
今振り返れば、あの人は狂っていたのではない。
本気だったのだ。
本気で人を強くしようとしていた。
本気で格闘技の世界に生きていた。
本気で、弱いままの人間をリングに上げることを許さなかった。
初めて渡辺ジムに足を踏み入れた時、空気が違った。
空手道場のような礼節の緊張感とはまた別の、もっと湿った、もっと重い空気だった。
サンドバッグを叩く音。
ミットを受ける音。
息を吐く音。
グローブが肉を打つ音。
そこには理屈ではない、闘いの現実があった。
渡辺会長は、私を見るなり、静かに言った。
「空手の突きじゃ、顔面は当たらないよ」
その言葉は、胸に刺さった。
私は空手家として、それなりの自信を持っていた。
稽古もしてきた。
試合もしてきた。
自分の拳にも、蹴りにも、誇りがあった。
しかし、会長の目は、それを一瞬で見抜いていた。
「強い弱いじゃない。ルールが違うんだ。距離が違う。リズムが違う。殴られる場所が違う」
まさにその通りだった。
空手では磨いてきたつもりの直突きも、グローブをつけると別物になる。顔面を狙えば相手は頭を振る。ガードを上げる。横に動く。そして打ち返してくる。
裸拳の一撃必殺の感覚だけでは、通用しない世界があった。
私はそこで初めて、武術とは自分の得意な形を守ることではなく、未知の恐怖に飛び込むことなのだと知った。
私が事情を話すと、会長は静かに聞いていた。
正道会館の大会に出ること。
延長戦ではグローブをつけ、顔面攻撃ありになること。
自分は顔面攻撃の稽古をほとんどしてこなかったこと。
会長はしばらく黙っていた。
そして、短く言った。
「じゃあ、やるしかないな」
その一言に、余計な慰めはなかった。
「大丈夫だ」とも言わなかった。
「なんとかなる」とも言わなかった。
ただ、やるしかない。
その言葉の中に、格闘技のすべてがあった。
怖いなら稽古するしかない。
知らないなら覚えるしかない。
弱いなら、強くなるしかない。
そこから始まった渡辺ジムでの日々は、今思い返しても、常識の枠をはるかに超えた、狂気じみたトレーニングであった。
普通のジムであれば、ひとラウンド三分、インターバル一分。
それが格闘技の基本的なリズムである。
しかし渡辺ジムは違った。
ひとラウンド四分三十秒。
インターバルは、わずか三十秒。
その数字を聞いただけでは、実感が湧かないかもしれない。
だが、実際にその中に身を置くと分かる。
三十秒など、休みではない。
呼吸を整える間もなく、次の地獄が始まる。
肺が焼ける。
足が重くなる。
腕が上がらなくなる。
心臓が胸を突き破って飛び出すのではないかと思う。
それでも、会長は止めない。
「まだだ」
その一言で、また身体を動かす。
「顎 引かんかい」
その常軌を逸した稽古が、後に修斗世界ヘビー級チャンピオンとなるエンセン井上さんを作り上げた。
本物の格闘家を作る場所には、優しさだけでは足りない。
甘えを削り、限界を壊し、最後に残ったものだけを本物に変えていく。
渡辺ジムとは、そういう場所だった。
私は毎日、新小岩にある渡辺キックボクシングジムへ通わせていただいた。
稽古は、最初から過酷だった。
まず縄跳び十ラウンド。
続いて、腿上げ十ラウンド。
それだけで、普通の人間なら一日の稽古が終わってもおかしくない。
しかし、渡辺ジムではそこからが本番だった。
渡辺会長がミットを持つ。
そして、ミット打ちが始まる。
終わりが見えない。
何ラウンド打ったのか分からなくなる。
何度息を吐いたのかも分からなくなる。
拳を出しているのか、身体が勝手に動いているのかも分からなくなる。
私はスタミナには自信があった。
空手で鍛えてきた。
試合も経験してきた。
自分なりに、苦しい稽古には耐えられると思っていた。
しかし、初日から吐きそうになるほど絞り上げられた。
そこには、空手とはまた違う厳しさがあった。
顔面を打つ。
顔面を守る。
蹴る。
打ち返す。
止まらない。
逃げない。
休まない。
渡辺ジムの稽古は、技術を教わるというより、人間の弱さを剥ぎ取られるような稽古だった。
会長は何度も言った。
「顔を打たれると思うから怖いんだ。怖いから目をつぶる。目をつぶるから、もっと打たれる」
その言葉は厳しかった。
だが、真実だった。
顔面攻撃で本当に怖いのは、痛みではない。
相手の拳が自分の顔に向かってくる瞬間、心が負けることだ。
目をそらす。
身体が固まる。
呼吸が止まる。
その一瞬で、勝負は決まる。
渡辺会長は、その恐怖から逃がしてくれなかった。
ジャブを打つ。
戻す。
ストレートを打つ。
戻す。
ガードを上げる。
顔を動かす。
足を止めない。
単純な動作の繰り返しだった。
しかし、その単純さの中に、恐ろしいほど深い世界があった。
キックボクシングとは、ただ殴り合う競技ではない。
恐怖の中で冷静さを失わないための稽古だった。
自分の呼吸を守る稽古だった。
相手の殺気の中に立ち続ける稽古だった。
私はその時、渡辺会長から技術だけを学んだのではない。
顔面を打たれる世界に入る覚悟を学んだ。
そして、武術とは、自分が慣れ親しんだ安全な場所に留まるものではないのだと知った。
空手家である自分が、キックボクシングの会長に頭を下げる。
それは、恥ではなかった。
むしろ、武道家として大切な一歩だった。
知らないことを知らないと言えること。
できないことをできないと認めること。
そして、必要ならば頭を下げて学ぶこと。
若い頃の私は、強さとは勝つことだと思っていた。
しかし老境に入った今は、少し違う。
強さとは、学び直せることだ。
自分の不足を認められることだ。
そして、恐怖の前で逃げずに、もう一度構え直せることだ。
渡辺キックボクシングジムの玄関には、かつてこんな言葉が掲げられていた。
「喧嘩教えます」
今なら、なかなか掲げられない言葉かもしれない。
しかし、当時の渡辺ジムには、その言葉が妙に似合っていた。
きれいなフィットネスジムではない。
誰でも入りやすい明るい道場でもない。
そこには、どこか危険な匂いがあった。
だからだろう。
新しい入門者は、ほとんどいなかった。
いつも同じメンバーで、同じ空気を吸い、同じ苦しみを味わい、同じ汗を流していた。
だが、その場所で鍛え上げられた若者たちは、次々とチャンピオンになっていった。
渡辺会長は、累計十四人ものチャンピオンを育て上げた。
それは偶然ではない。
選手を強くする方法を知っていたのだ。
そして何より、選手を強くするために、自分自身が誰よりも狂気に近い情熱を持ち続けていた。
そこには、エンセン井上さんがいた。
また、当時大ブレイクしていた山本“KID”徳郁君も、渡辺会長の打撃を学びに来ていた。
毎年一月一日の元旦には、山本美憂さんや、女子アームレスリングチャンピオンの山田さんたちが集まった。
それは、まるで格闘家たちの初詣だった。
神社へ参るように、彼らは渡辺会長のもとへ集まった。
強くなるために。
一年の始まりに、自分の身体と心をもう一度締め直すために。
あのジムには、そういう力があった。
渡辺会長は、現在七十代後半になられても、いまだに自分のトレーニングを欠かさない。
いつ終わるのか分からないロープスキッピング。
首だけで行うブリッジ。
延々と続く腹筋運動。
それらは、とても七十代後半の人間が行うものとは思えない。
だが、会長はやる。
誰に見せるためでもない。
誰かに褒められるためでもない。
若き日に身体へ刻み込んだ格闘家としての習慣を、今もなお守り続けている。
渡辺会長は、若き日にキックボクシングの本場であるムエタイへ挑戦された。
しかし、網膜剥離という大怪我に見舞われ、選手としての道を断たれた。
普通の人間なら、そこで格闘技から離れてもおかしくない。
悔しさを抱えたまま、静かに別の人生を選んでもおかしくない。
しかし会長は違った。
二十代前半から、ひたすら日本キックの看板を守り続けた。
選手として戦えなくなった後も、会長として、指導者として、格闘技の現場に立ち続けた。
自分が戦えなかった分まで、選手を育てた。
自分が届かなかった場所へ、若者たちを送り出した。
その姿は、まさに老境の武術家である。
私は心から尊敬している。
老境の武術とは、老いてなお若者のように動くことだけではない。
若き日に背負った悔しさを、人生の最後まで捨てずに磨き続けることだ。
自分の痛みを、次の世代の力に変えることだ。
渡辺会長は、それを生き方で示している。
私の息子、敦史もまた、二十代の頃、日本キックボクシング連盟のリングに上げていただいた。
最初は「空手・重松の息子」ということで、鳴り物入りの新人として期待していただいた。
父としても、指導者としても、私は大きな夢を見た。
自分の息子が、キックボクシングのリングでどこまで行けるのか。
空手で育った身体と心が、打撃のリングでどこまで通用するのか。
その未来を、胸の奥で期待していた。
しかし、バンタム級チャンピオンのタイトルマッチを決める大事な試合で、敦史は脳挫傷を発症してしまった。
そして、残念ながら引退させることになった。
格闘技は、美しい。
だが、同時に残酷でもある。
夢を見せてくれる。
だが、時にその夢を一瞬で奪う。
親としては、命が助かったことに感謝しなければならない。
しかし、武道家としては、悔しさが残る。
渡辺会長には大きな期待をかけていただいた。
それにもかかわらず、結果を出せなかったことが、今も胸に残っている。
この悔しさは、簡単には消えない。
だが、その悔しささえも、私にとっては武術の一部なのだと思う。
勝った記憶だけが武道ではない。
負けた記憶。
届かなかった夢。
果たせなかった約束。
期待に応えられなかった無念。
それらを抱えたまま、それでも前を向いて生きる。
それが、老境に入った武術家の姿なのかもしれない。
現在、エンセン井上さんもまた、人生の荒波の中にいる。
かつて修斗世界ヘビー級チャンピオンとして、リングの上で命を削るように戦った男にも、リングを降りた後には、また別の戦いが待っていた。
しかし、そこにも渡辺会長の姿があった。
渡辺会長は、心のこもった嘆願書を裁判所へ提出されたという。
それが何とか受理されたと聞いた時、私は胸が熱くなった。
チャンピオンを作るだけが、指導者ではない。
勝たせるだけが、師ではない。
弟子が人生の崖に立たされた時、その背中を見捨てず、もう一度立ち上がれるように手を差し伸べる。
それこそが、本当の師弟の絆なのだと思う。
リングの上で強い者を作ることはできても、リングを降りた後まで弟子を守ろうとする指導者は、決して多くない。
渡辺会長は、その数少ない一人である。
この先も、まだまだ大変なことはあるだろう。
人生は試合のように、三分や五分で終わってはくれない。
判定もなければ、ゴングもない。
勝ったと思った翌日に、また新しい苦しみが来ることもある。
それでも、人は一人ではない。
渡辺会長を中心とした応援団がいる。
かつて共に汗を流し、同じジムの空気を吸い、同じ痛みを知った仲間たちがいる。
私は信じている。
いつの日か、その応援団が、大切な弟子を必ず守ると。
渡辺会長にとって、エンセン井上さんは、ただの教え子ではない。
自らの過酷な稽古に耐え抜き、世界の頂へ駆け上がった、かけがえのない弟子である。
そして弟子にとって師とは、強くなるためだけの存在ではない。
人生に迷った時、帰るべき場所を示してくれる存在なのだ。
老境の武術とは、若者を鍛え上げる力だけではない。
傷ついた弟子を、最後まで見捨てない心である。
勝利の瞬間だけでなく、苦難の時にもそばに立つ覚悟である。
渡辺信久会長の生き方には、その覚悟がある。
だから私は、渡辺会長を心から尊敬している。
渡辺ジムで流した汗。
吐きそうになりながら打ち込んだミット。
会長の鋭い声。
ロープの音。
革の匂い。
新小岩の小さなジムに満ちていた、異様な熱気。
それらは今も、私の身体のどこかに残っている。
渡辺信久会長は、狂気の人だった。
しかし、その狂気は破壊のためのものではなかった。
人を強くするための狂気だった。
弱さを焼き尽くすための狂気だった。
格闘技に人生を捧げた男だけが持つ、純粋で、不器用で、恐ろしいほど真っ直ぐな情熱だった。
私は老境に入り、病も経験し、身体の衰えも知った。
若い頃のようには動けない。
あの頃のように、四分三十秒のラウンドを何本もこなすことはできない。
しかし、心の中には今も、渡辺ジムの音が鳴っている。
「まだだ」
「構えろ」
「休むな」
その声は、今の私にも届いている。
いずれにしても、私が青春時代に渡辺信久会長と出会い、さまざまな格闘精神を学ばせていただいたことは、私の生涯の宝である。
限界を超える稽古。
逃げ場のないミット打ち。
顔面攻撃の恐怖。
リングに立つ覚悟。
そして、弟子を最後まで見捨てない師の情。
それらは、単なる技術ではない。
人生を生き抜くための武術であった。
今後も私は、渡辺会長から教えていただいた技と心を、松栄塾の弟子たちに伝えていく。
強さとは、相手を倒すことだけではない。
自分に負けないこと。
仲間を見捨てないこと。
そして、年老いてなお、誰かのために立ち続けること。
渡辺信久会長の姿は、まさにそのことを教えてくれている。
願わくば、渡辺会長が一日も長くご健康でいられることを、心より願っております。
青春の日々にいただいた厳しさ。
格闘技に懸ける狂気のような情熱。
そして、弟子を思う深い愛情。
そのすべてに、心から感謝申し上げます。
押忍。














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