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老境で始まる修行

若い頃、私は強くなることばかり考えていた。


試合に勝つこと。技を磨くこと。人より前に出ること。


武道とは強さを求める道だと思っていた。


しかし六十五歳になった今、若い頃には見えなかったものが見えてくる。


身体は確かに衰える。


かつて軽々とできたことが難しくなり、疲労の回復にも時間がかかる。


だが不思議なことに、


武道の本当の面白さは、ここから始まるのである。


若い頃は相手と戦う。


老境では自分と戦う。


焦りと戦い、驕りと戦い、怠け心と戦う。


毎朝起きて道場へ向かう。


帯を締める。


礼をする。


その一つひとつが修行になる。


武道とは相手を倒すためだけのものではない。


人生を整えるための道である。


宮本武蔵は晩年、『我以外皆我師』の境地に至ったと言われる。


誰からでも学ぶ。


何歳になっても学ぶ。


それが真の武道家の姿であろう。


老境とは終わりではない。


新しい修行の始まりである。


私もまた、


今日も道場に立つ。


未熟な自分を鍛えるために。


「次回:なぜ武道家は老け方が違うのか」

 
 
 

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