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老いた拳に宿るもの

~若い頃の強さより大切なもの~

若い頃、私の拳は人を倒すためにあった。

強くなりたい。

勝ちたい。

誰にも負けたくない。

そんな思いで毎日稽古を続けていた。

試合に勝った時は嬉しかった。

強さを認められることが誇りだった。

しかし六十五歳になった今、私の拳はもう若い頃のようには動かない。

両膝は壊れ、長時間歩くことも楽ではない。

それでも私は毎日道場へ向かう。

なぜだろう。

最近になって分かったことがある。

本当に大切なのは、拳の強さではなかった。

心の強さだったのである。

私は現在、民生委員として地域の方々と関わっている。

独り暮らしのお年寄り。

病気に苦しむ人。

誰にも相談できず孤独を抱えている人。

そんな方々と接する中で思う。

人は誰でも、人生のどこかで弱くなる。

若い頃は想像もしなかった苦しみに出会う。

病気。

介護。

孤独。

貧困。

そして絶望。

そんな時に必要なのは、相手を打ち負かす拳ではない。

震える手に、そっと自分の手を重ねる優しさである。

私は保護司としても活動している。

闇バイトに手を出し、人生を踏み外しかけた若者とも向き合ってきた。

世間は簡単に言う。

「自業自得だ」

「厳しく罰するべきだ」

しかし私は思う。

誰も好き好んで人生を壊したわけではない。

そこに至るまでに、誰にも言えない苦しみがあったのかもしれない。

助けを求める声を出せなかったのかもしれない。

だから私は話を聞く。

叱ることもある。

励ますこともある。

そして最後には信じる。

人は変われると。

若い頃の私は、強い人間になりたいと思っていた。

だが今は違う。

人の痛みが分かる人間になりたいと思う。

死にたくなるほど苦しんでいる人に、

「大丈夫だ。まだ終わりじゃない。」

そう言える人間でありたい。

脳梗塞を経験した。

肝細胞癌も経験した。

余命半年と言われたこともある。

だからこそ分かる。

人は希望だけで生きているのではない。

誰かが自分を信じてくれている。

その事実によって生かされることがある。

老いた拳に宿るもの。

それは若さでもない。

力でもない。

勝利でもない。

人を支えるための優しさであり、

人生を諦めないという覚悟である。

武道とは人を倒す技ではない。

人を生かす道である。

私はそう信じている。


武道を続けた老人と、やめた老人の違い」~人生の最後に残るもの~

 
 
 

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