瞬速の達人黒田鉄山先生
- 榮一 重松
- 7月1日
- 読了時間: 5分
先日、甲野善紀先生について書かせていただいた。
だが、古武術――とりわけ剣術という一点において、私の中でどうしても忘れることのできない方がいる。
駒川改心流・振武館黒田道場第十五代宗家、黒田鉄山先生である。
世界にその名を知られた居合の達人。いや、達人という言葉さえ、先生の前では少し軽く響いてしまう。
武術研究家である甲野善紀先生は、黒田先生についてこう評された。
「居合術の真の姿を現代に伝える、ただ一本の細い糸のような方」
また、合気道ジャーナル編集長であったスタンレー・プラニン氏は、黒田先生の居合を目の当たりにして、宗教的啓示にも似た感動を覚えたと語り、このような奇跡的な動きを目撃させてくれた創造主に感謝したい、とまで称賛された。
それほどの方である。
私はその評判を耳にするたび、胸の奥に抑えきれない興味が湧き上がるのを感じていた。
剣術の神とも言われる方とは、一体どのような人物なのか。どのような目をし、どのような声で語り、どのように人に接するのか。
その思いに導かれるように、私は埼玉県大宮にある振武館の稽古に参加させていただき、ありがたいことに入門の許可をいただいた。
初めてお目にかかった黒田鉄山先生は、想像していたような近寄りがたい剣豪ではなかった。
そこにいらしたのは、屈託のない笑顔を浮かべた、どこか温かみのある先生だった。
私が「空手道場をやっております」とご挨拶すると、先生はふと懐かしそうな表情をされた。
「昔、ご縁があった空手の修身会館の関谷館長も、居合を習っていたんですよ。関谷先生は元気ですか」
少し埼玉の響きが残る、柔らかく温かいお言葉だった。
私はその瞬間、剣術の神と呼ばれる方の前にいる緊張が、少しだけほどけていくのを感じた。
関谷館長のご子息とは、1993年、新空手の重量級決勝戦で対戦させていただいたことがある。幸運にもその時は私が優勝させていただいたが、まさかそのご縁が、時を越えて黒田先生の口から語られるとは思わなかった。
武の世界は不思議である。一つの縁が、また別の縁を呼ぶ。稽古とは、ただ身体を鍛えるだけではなく、人と人との道をつないでいくものなのだと、その時あらためて感じた。
当時の私は、極真会館の大山倍達総裁の教えのもとに育っていた。
「技は力の中にあり」
その言葉を胸に刻み、日夜スポーツクラブでウェイトトレーニングに励んでいた。
ベンチプレスは150キロ。バーベルスクワットは300キロ。
自分なりに、力には自信があった。身体を鍛え、筋肉を鎧のようにまとい、力で押し切ることこそ強さだと信じていた時代である。
しかし、黒田先生の剣術の前では、その自信は静かに崩れていった。
剣術において大切なのは、いかに力を込めるかではない。いかに力を抜くかであった。
先生の振り下ろす木刀には、力みがなかった。
だが、遅くはない。軽くもない。むしろ、こちらの意識が追いつく前に、すでに斬られている。
その動きは、速いというより、消えていた。
刃筋を通す。型を通す。余計な力を否定し、ぶつからない力を生み出す。
私がそれまで積み上げてきた「力」という概念とは、まったく別の世界がそこにあった。
黒田先生は、笑いながらこうおっしゃった。
「侍の動きは止めらんねぇ」
その言葉を聞いた時、私はただ憧れのまなざしで先生を見つめていた。
本物の武術とは、力で相手をねじ伏せるものではない。相手とぶつからず、相手の力が生まれる前に、すでに終わっているものなのだ。
先生の動きは、まさにそれだった。
木刀が振り下ろされる。その瞬間、空気が変わる。
音もなく、力みもなく、ただ自然に、そこに結果だけが残る。
私は何度も思った。
これが古武術なのか。これが剣術なのか。これが、人間が到達し得る身体の境地なのか、と。
黒田先生の教えは、私の中に深く残っている。
「型の意味」「力の全否定」「そんな動きでは、命がいくつあっても足りない」
その一つ一つの言葉は、単なる技術論ではなかった。それは、生き方そのものへの問いかけでもあった。
力に頼るな。見せかけに逃げるな。無駄を削ぎ落とせ。本質を見よ。
先生の稽古には、そうした厳しさと清らかさがあった。
2022年5月、黒田先生は突然の病に倒れ、長期療養に入られた。そして2024年3月3日、静かにこの世を去られた。
享年73歳。
まだまだお若い先生だった。まだまだ、多くのことを教えていただきたかった。
だが、神は剣の達人を天に召された。
毎年、先生から届く手書きの干支の年賀状を、私は楽しみにしていた。あの年賀状には、先生の筆の勢いと、温かい人柄がそのまま宿っていた。
しかし昨年、その願いはもう届かなかった。
今でも、神速と呼ばれた先生の居合の映像を拝見するたび、あの屈託のない笑顔を思い出す。
木刀を手にした瞬間の厳しさ。稽古の合間に見せる柔らかな笑顔。少し訛りの残る温かな声。
そのすべてが、今も私の心の中に生きている。
私は空手家である。剣術家ではない。
それでも、黒田鉄山先生から教えていただいたものは、私の武道人生にとって、かけがえのない宝である。
力を誇るのではなく、力を消す。ぶつかるのではなく、通る。速く動くのではなく、相手の意識の外に出る。
先生の境地には、到底たどり着けないかもしれない。
それでも私は、先生が残してくださった教えを胸に、これからも稽古を続けていきたい。
少しでも、あの動きに近づけるように。少しでも、あの境地を感じられるように。そして、武道を学ぶ者として、恥ずかしくない生き方ができるように。
黒田鉄山先生。
瞬速の達人。現代に古武術の真実を伝えた、細い一本の糸。
その糸は、先生が天に召された今も、私たちの心の中で静かに光り続けている。
押忍。合掌。














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