なぜ武道家は老け方が違うのか
- 榮一 重松
- 6月7日
- 読了時間: 2分
最近、鏡を見るたびに思う。
確かに私は老いた。
髪は白くなり、身体も若い頃のようには動かない。
両膝は壊れ、長い距離を歩くことさえ容易ではない。
それでも私は毎日道場へ向かう。
なぜだろう。
若い頃なら理解できなかったかもしれない。
武道家は年齢を重ねても、どこか違う。
もちろん誰もが老いる。
しかし武道を続けた人間には、不思議な輝きが残る。
それは筋肉ではない。
技でもない。
生きる覚悟である。
私は五十歳の時、脳梗塞で倒れた。
幸い運動神経への大きな後遺症は残らなかったが、人生には終わりがあることを初めて現実として感じた。
そして還暦を迎えた頃、今度は肝細胞癌が見つかった。
腫瘍は九センチ近くまで成長していた。
医師からは厳しい言葉も告げられた。
余命半年。
その言葉を聞いた時、不思議と恐怖はなかった。
なぜなら私は武道を通じて、人生は長さではなく、どう生きるかだと学んでいたからである。
もちろん死にたくはなかった。
まだ指導したい子供達がいた。
まだ伝えたいことがあった。
まだ見届けたい成長があった。
だから私は生きることを諦めなかった。
治療を受け、稽古を続け、今日も道場に立っている。
武道家が老け方を拒むのではない。
老いを受け入れながらも、心まで老いることを拒むのである。
膝が痛くても礼をする。
身体が思うように動かなくても後輩を導く。
病と闘いながらも未来を語る。
その積み重ねが、人間の顔を変える。
武道家の老後が輝いて見える理由は、若さを保っているからではない。
人生から逃げなかった証が、その人の姿に現れているからである。
私は六十五歳になった。
身体は確実に衰えている。
しかし心は今も前を向いている。
なぜ私は死ななかったのか。
なぜ私は今も道場に立つのか。
その答えは一つしかない。
まだ修行が終わっていないからである。
人生最後の日まで、
私は武道家として生きていきたい。
それが私に与えられた道なのだから。
老いた拳に宿るもの」~若い頃の強さより大切なもの~




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