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なぜ武道家は老け方が違うのか

最近、鏡を見るたびに思う。


確かに私は老いた。


髪は白くなり、身体も若い頃のようには動かない。


両膝は壊れ、長い距離を歩くことさえ容易ではない。


それでも私は毎日道場へ向かう。


なぜだろう。


若い頃なら理解できなかったかもしれない。


武道家は年齢を重ねても、どこか違う。


もちろん誰もが老いる。


しかし武道を続けた人間には、不思議な輝きが残る。


それは筋肉ではない。


技でもない。


生きる覚悟である。


私は五十歳の時、脳梗塞で倒れた。


幸い運動神経への大きな後遺症は残らなかったが、人生には終わりがあることを初めて現実として感じた。


そして還暦を迎えた頃、今度は肝細胞癌が見つかった。


腫瘍は九センチ近くまで成長していた。


医師からは厳しい言葉も告げられた。


余命半年。


その言葉を聞いた時、不思議と恐怖はなかった。


なぜなら私は武道を通じて、人生は長さではなく、どう生きるかだと学んでいたからである。


もちろん死にたくはなかった。


まだ指導したい子供達がいた。


まだ伝えたいことがあった。


まだ見届けたい成長があった。


だから私は生きることを諦めなかった。


治療を受け、稽古を続け、今日も道場に立っている。


武道家が老け方を拒むのではない。


老いを受け入れながらも、心まで老いることを拒むのである。


膝が痛くても礼をする。


身体が思うように動かなくても後輩を導く。


病と闘いながらも未来を語る。


その積み重ねが、人間の顔を変える。


武道家の老後が輝いて見える理由は、若さを保っているからではない。


人生から逃げなかった証が、その人の姿に現れているからである。


私は六十五歳になった。


身体は確実に衰えている。


しかし心は今も前を向いている。


なぜ私は死ななかったのか。


なぜ私は今も道場に立つのか。


その答えは一つしかない。


まだ修行が終わっていないからである。


人生最後の日まで、


私は武道家として生きていきたい。


それが私に与えられた道なのだから。


老いた拳に宿るもの」~若い頃の強さより大切なもの~

 
 
 

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